ヨーロッパ軒敦賀本店で念願のパリ丼を食す

ヨーロッパ軒敦賀本店
それは、2007年12月26日。仕事で富山へ行った時のことです(いま思うと、よくもまあ、こんな暮れも押し迫った時期に出張なんてしてたものです)。

同行したライターの砂山さん、敦賀から来られたSNさんと共に、当時、富山に住んでいた友人NYさんの案内で、夜の富山を回り、冬の北陸のおいしい魚と日本酒を堪能させてもらいました。

ブリ、ズワイガニなど季節のものから、ノドグロ、黒作り(塩辛)、それに忘れちゃいけない、げんげと・・・。また、日本酒は、立山、勝駒、満寿泉、三笑楽と、それぞれ違う味わいの酒を、的確な順番で飲ませてもらい、2軒目では銀盤という、これまた富山のお酒を味わうことが出来ました。

しかし、それにもまして、砂山さんと私に衝撃をもたらしたのが、NYさんとSNさんが、そろって絶賛したヨーロッパ軒のパリ丼です。「これを食べずには死ねないですよ」とまで言われ、焦りまくる二人。でも、ヨーロッパ軒は福井にあり、その時は叶わぬ夢・・・Impossible Dream・・・と諦め、帰宅したのです。

で、なかなか福井へ行く機会もなく、時は過ぎていきました。そして、あの日から1年半ほど経った2009年の6月11日、東京・築地のいきつけの店で関あじのランチを食べている時、砂山さんから「来てしまいました」というメールが入りました。留守中に、事務所にでも訪ねてきたのかと思ったのですが、メールの本文はなく、添付写真オンリー。

ヨーロッパ軒敦賀本店
写真には「敦賀ヨーロッパ軒」の暖簾が・・・。どうやら、抜け駆けでヨーロッパ軒を訪問した模様。むむっ! 先を越されたか! 無念な思いで、その報告を聞いた私。でも、各地のソースカツ丼を食べ、ソースカツ丼に対してはウンチクもある砂山さんは、ソースカツ丼発祥の店であるヨーロッパ軒で、ソースカツ丼を食べずパリ丼を食べるという選択が出来なかったらしいのです。つまり、パリ丼はまだ口にしていない!

というような長い長い物語があって、私、とうとう2009年7月24日、敦賀に出張した際、SNさんの案内で、無事、「敦賀ヨーロッパ軒」の「本店」に行くことが出来ました。くれぐれも言っておきますが、「本店」です。店構えからして、違います。

写真を入れておきますが、このラブホチックな外観・・・目黒エンペラーではありませんよ。「味のお城」、パリ丼キャッスルです。で、たぶん砂山さんが行った店と同じ暖簾をくぐって中に入るってえと・・・。地方都市のビジネスホテルのフロントを思わせるインフォメーションがありまして、更に、キャッスル内の構造が柱に掲げられています・・・。

これも写真を入れておきますが、結婚披露宴・大宴会場! 和室宴会場! しゃぶしゃぶ、石焼き、すき焼き、ステーキコーナー!? むむむむむ~。恐るべし! ヨーロッパ軒。

ヨーロッパ軒敦賀本店
そんなこんなで感動しきりの私、2階のファミリーレストランに上がり、注文はもちろん念願のパリ丼。もうこれっきりです! 味噌汁もサラダもいらないもん! パリ丼まっしぐら。で、待つこと数分。出てきました(早っ!)。

前に「ソースカツ丼」を食べた砂山さんから、作法があると聞いていたので、ジモッティSNさんに確認。SNさんは、ふたを開けると、やおら1枚のメンチカツをふたに移しました。曰く、「2枚とも移す人もいますが、肉汁が出るので、1枚だけ移し、ご飯の上で切る方がお勧めです」と。なるほど、なるほど。素直な私はそれにならい、とってもおいしくパリ丼を味わうことが出来ました。

感極まりながらパリ丼を食べつつ、テーブルに置かれたメニューを見ていると、ミニパリ丼、ミニソースカツ丼などのメニューも。わたくし的には、ご飯がちょっと多かったので、今度はこれでもいいかも、なんぞと思いました。が、他にもスカロップを始め、気になるメニューが山盛り。満願成就・・・ではありますが、後を引くヨーロッパ軒だったのです。

後日、SNさんが教えてくれたところでは、「何かとツッコミどころ満載のヨーロッパ軒ですが、丼のセットに付いてくるサラダをご紹介出来ず残念でした。レタスにプチトマト、それになぜかガリが付いてます。ヨーロッパ軒最大の謎です」と。また、私の報告を聞いた砂山さんからは、「敦賀ヨーロッパ軒のソースカツ丼を食べた翌週、こちらも名物の長野県駒ケ根のソースカツ丼を食べましたが、カツにご飯だけという潔さ、それでいて完成度の高い丼に仕上がっている点でヨーロッパ軒に軍配が上がります(駒ケ根の場合、カツとご飯の間にキャベツが入ります)。次、機会があれば迷いなくパリ丼を注文すると思います」と、返信がありました。

ヨーロッパ軒敦賀本店パリ丼

ヨーロッパ軒敦賀本店パリ丼

ちなみに、ヨーロッパ軒は、1913(大正2)年に早稲田の鶴巻町にオープン。屋号は、創業者の高畠増太郎さんが、ヨーロッパで修行したことに由来するそうです。その10年後の23年に関東大震災で被災、店が灰燼と化し、郷里の福井にUターン。翌24年に現在地で開業。39(昭和14)年に敦賀分店を暖簾分け第1号として開店して以来、優秀な人には暖簾分けを行い、現在では福井市11店、敦賀市5店、坂井市3店の計19店舗でグループを構成しています。なお、パリ丼は、福井総本店と敦賀本店の店主さんが共同で、ミンチカツをソースに浸したソースミンチカツ丼を開発。店名にちなんで洋風な名前をと考え、ヨーロッパでも有名な都市パリの名前をとってパリ丼としたとのことです。

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ところで、パリ丼を食べた時に取材したのは、手漉きおぼろ昆布でした。

敦賀は江戸時代、北前船の寄港地として栄え、北海道や東北の産物を京や大坂へ運ぶ中継地となっていました。昆布は、そうした物資の中でも重要な食材の一つで、北前船の道程は「コンブロード」とも呼ばれました。そして敦賀では、昆布加工も発展。おぼろ昆布、とろろ昆布などの加工昆布では日本一の産地となっています。

取材させてもらったのは、そんな加工昆布の老舗ハシモト昆布(橋本禮次社長)でした。

手漉きおぼろ昆布

「おぼろ昆布には真昆布を使います。まず天日干しした良質の昆布を酢に浸して柔らかくします。とろろ昆布もおぼろ昆布も、これを削って作るわけですが、とろろが機械で削るのに対し、おぼろは人間が包丁を使って板状に薄く削ります。口の中で溶けるようなおぼろ昆布を漉くには、熟練した職人技が必要です」

橋本社長はそう前置きし、自ら実演して見せてくれました。滑り止めの着いた愛用の白足袋で昆布をしっかりと踏み、昆布包丁を持った腕を右脚で押し出すようにして削ります。そうすることで腕を固定し、幅広で長いおぼろを削ることが出来るのだといいます。

地元ではおにぎりを巻いたり、お吸い物にしたり、素材そのものを味わう食べ方が一般的。運動会や遠足では、のりではなく、昆布で巻いたおにぎりが定番。コンビニでも、他の地方ではついぞ見かけない「昆布おむすび」が、北陸限定おにぎりとして売られています。

そんな中、地元の方は「ご飯の上にバサッとかけ、ご飯を巻きながら食べるのがいちばん!」と力説。更に、「朝の吸い物は、おぼろ昆布にお湯をかけ、醤油をチャッとたらして完成。おぼろ昆布はふわっと溶けるほどの薄さですが、真昆布のうまみを最大限に引き出して甘みと香りが口いっぱいに広がります。お試しあれ」とも教えてくれました。

関連記事→「ソースカツ丼発祥の店ヨーロッパ軒総本店を訪問」

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