大規模水害にも負けず咲き誇る常総市の桜堤
そんな常総市が、2015年9月、大規模な水害に見舞われました。台風18号の影響による記録的な豪雨(関東・東北豪雨)で、10日早朝から市内を流れる鬼怒川の数カ所で越水や堤防からの漏水が発生し、昼過ぎには三坂地区の堤防が決壊。浸水域は南北約18km、東西約4kmにも及び、約1万1000戸の住宅が水に浸かりました。
大規模水害が起きたその日、私は取材のため北海道の旭川へ行っており、すぐには状況把握が出来ませんでした。そんな中、東日本大震災の支援活動で知り合った水戸葵ライオンズクラブの若林純也さん(「支援活動と取材を通じて続いた大槌訪問」)が、堤防決壊の翌日に常総入りし、物資の受け入れ態勢など、状況確認を始めたので、若林さんにコンタクトを取ってみました。
しかし、災害対策本部の市庁舎自体、浸水により職員400人、避難市民400人、自衛隊や消防、報道陣ら200人と共に孤立。水が引いた12日になって、ようやく孤立が解消されたとのこと。この状況で、行政が物資の受け入れを管理するのは難しいと判断した若林さんは、所属する水戸葵ライオンズクラブの会員らと共に、救援物資センターを運営することを決断。市と交渉し、市役所新庁舎の2階に常駐することにしました。そして12日には早くも、若林さんと交流のあった首都圏の仲間たちが、第1弾の支援物資を搬入してくれました。
浪江焼きそばの炊き出し |
その後も若林さんたちは交替で常総市に詰め、救援物資センターを運営しました。また若林さんは、常総市ボランティア・センターで中心的役割を担っていた青年会議所(JC)とも連携し情報を収集。併せて市内を巡回して、被災した市民から支援ニーズの聞き取りを行い、決壊現場の三坂町や周辺地域など、最前線での活動も始めました。
一方、茨城県のライオンズも、義援金口座を開設すると共に、全国からの物資を受け入れるため、常磐自動車道・谷和原IC近くにある水海道ライオンズクラブ会員の倉庫を借り集積所に指定。県内全79クラブに協力を要請したところ、各クラブが交替でボランティアに参加、避難所での物資の仕分けや配給、被災者宅の手伝いなどを開始しました。その後、常総市から避難所での食事について相談があり、館内で火が使えない石下総合体育館の避難所で、毎日夕食の炊き出しを継続したりました。その中には、岩手県大槌町の若手有志による三陸秋の味覚海鮮汁、福島県浪江町の「浪江焼麺太国レギュラー麺バー」による浪江焼きそばなど、支援活動を通して交流が出来た東日本大震災の被災地からも炊き出し奉仕があり、避難生活を送る人たちに勇気を与えていました。
ちなみに、私が救援物資センターに行っている時、何やらもめている声が聞こえてきました。市の職員と押し問答をしていたのは、市役所近くにあるお菓子の卸会社「草間」の社長でした。聞くと、お菓子を大量に保管していた倉庫が浸水、中の商品は何ともなっていないのですが、ダンボールが水でだめになり、全て廃棄するしかない状態。そこで、社長が市役所へ来られ、お菓子を提供したいと申し入れたものの、職員からは煮え切らない返事しか無く、社長が怒り始めたという場面だったようです。
そこで、我々が間に入り、責任を持って引き取り配布するので、お菓子を頂きたいとお願いし、倉庫へ案内して頂きました。すると、思った以上に惨憺たる状態。倉庫の床一面にダンボールが散らばっていました。ただ、中身は大丈夫そうなので、倉庫の中を片付けながら、お菓子を一つずつチェックして、救援物資センターに持ち帰り、市民の皆さんに多くのお菓子を配ることが出来ました。
ちょうど、そのお菓子を市役所2階に運び上げている途中、台湾仏教慈済基金会の方々が支援物資を持って到着。話を伺うと、こちらは世界最大の仏教NGOで、東日本大震災では50億円もの支援をしてくださったとのこと。台湾の方の友情には頭が下がります。
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平安時代には、既に稲作を行う集落が存在するなど、肥沃な土壌に恵まれていた常総市では、中央を鬼怒川、東を小貝川、またその間を八間堀川が流れます。関東・東北豪雨で堤防が決壊した三坂地区は、旧水海道市と旧石下町の境界付近で、三坂地区で堤防を破った水は、鬼怒川と八間堀川の間にあるバイパスを越え、更に八間堀川の堤をも破りました。この堤は1990年代後半に河川改良工事の一環として公園や休憩所、トイレを造ることが計画されていました。が、バブル崩壊もあり旧石下町は計画を断念。代わりに99年と00年の2年計画で、150本の桜を堤に植樹し、桜並木を作ることにしました。
現在、堤に植えられた桜は、大きく枝を広げ、成長した姿を見せています。また、堤は市民の散歩コースになっており、春には水害にも負けず美しく花を咲かせ、桜の下を多くの市民が行き交う光景が見られます。
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