「大船渡屋台村」OBたちのその後
三陸を代表する景勝地・穴通磯(あなとおしいそ) |
前のブログ(「大船渡屋台村をきっかけに生まれたつながり」)に書いた大船渡屋台村は、2011年12月20日にオープンし、2017年5月7日まで、大船渡市大船渡町で営業をしていました。この屋台村と同時期に、大船渡プラザホテルが営業を再開したこともあって、気仙地方に行く時は、プラザホテルに泊まって屋台村を訪問するというパターンが出来上がりました。
鮨・一品料理 山福 |
屋台村では、ランチが「山福」か「えんがわ」「旬菜美味ひろ」、夜は「らんぷ亭」のもっきりから始めて、「喜楽」のおでんで温まった後、シメに「ゆめんちゅ」に寄るのが定番でした。閉村後の2018年に大船渡に泊まった時は、屋台村があった場所の近くに出来た本設の商店街「キャッセン」へ行き、屋台村では沖縄風居酒屋「ゆめんちゅ」を経営していた佐藤圭二さんの「Another World Bar KEIJI」から、屋台村の理事長だった及川雄右さんの「湾岸食堂」へと移動し、お二人に再会してきました。しかし、まだ訪問していないお店の方が多いので、コロナ禍が収まったら、大船渡にも足を運びたいと思う今日この頃です。(※「キャッセン」は気仙の言葉で「いらっしゃい」の意)
沖縄風居酒屋ゆめんちゅ |
Another World Bar KEIJI |
湾岸食堂 |
さて、そんなわけで、今回は大船渡屋台村OBたちのその後を書いてみます。
屋台村は、2017年のゴールデンウィークをもって閉村しましたが、それを機に、店主の皆さんはそれぞれの道を歩き出しました。圭二さんや及川さんと同様に、屋台村から「キャッセン」へ出店したのは、「神菜月」「鮨・季節料理ささき」「貝だしラーメン黒船」「花椿(HANABIとして開店)」の各店。また、屋台村と同時期に仮設でオープンした「おおふなと夢商店街」が、本設でも「キャッセン」と同じ日にグランドオープンし、こちらには屋台村から「山福」「青い麦」「ちょっとより処 皁」が出店しました。
2017年4月にオープンしたキャッセン |
ちなみに、同じ「鈴木」姓で、真弓さんとも仲のいい(らしい)鈴木理香さんの「スナックリカ」は、「おおふなと夢横丁」から歩いて2分ほどの所で営業。昭和40年から営業している老舗スナックで、コロナ禍にあっては、テイクアウトも始めたそうです。インスタグラムで、「うちの母ちゃんがやってるスナックリカでテイクアウト始めました! 家での晩酌におつまみはどうですか。一度予約して食べてみてください! 味は保証します笑」と息子さんが投稿していました。私も近かったら、テイクアウトするんですけどね。。。それはさておき、大船渡へ行ったら、知人のバーやスナックがかたまっているので、楽しそうです。
もっきり酒場らんぷ亭 |
おでん喜楽 |
一方、初代村長を務めた「もっきり酒場らんぷ亭」と「おでん喜楽」は、屋台村閉村と共に営業を終えました。「喜楽」は、お母さんの代から数えると丸50年、大船渡で営業を続け、多くの人から愛されてきましたが、屋台村と共にその歴史に幕を下ろしました。実は、「喜楽」の店主・松澤悦⼦さんと、「らんぷ亭」の諸岡悠⼦さんは姉妹で、営業最終日には、圭⼆さんらの企画により、屋台村の野外ステージでファイナルライブが行われ、そのトリをお二人が務めました。そして最後にお二人は、「屋台村で皆さんと過ごした時間は本当に楽しかった。屋台村が無くなった後も、⼤船渡が元気な街になってほしい」と願いを伝えました。
ちょっと話が脇道に逸れますが(いつものことですが・・・)、2012年9月23日、「三陸・大船渡 東京タワーさんままつり」が開催されました。東京タワーの下で、大船渡から直送されたサンマが炭火で焼かれ、雨模様にもかかわらず、おいしいサンマを目当てに大行列が出来ていました。でも、私のお目当ては「さんまテリヤキバーガー」。これは、大船渡屋台村からの出店で、及川理事長がパテを焼き、事務局を務める金野美智子さんがテリヤキソースを絡めるという連携プレイ。そして、バンズを焼くのは明治大学の学生ボランティア。これに、松澤さんと諸岡さん姉妹も参加。行列が出来て忙しかったにもかかわらず、楽しそうにハンバーガーの仕上げをされていたのが印象的でした。そう言えば、「喜楽」の名は、「喜んで、楽しんで頂けるように」と名付けられたそうです。こんな所でも、その気持ちが生きていたんでしょうね。
ところで、屋台村閉村後の10月、「らんぷ亭」の店主・諸岡久雄さんは、気仙地域で初めての就労継続支援A型施設として開設された「ポプラ」の事務長を、また妻の悠⼦さんは、その⽣活⽀援員を務めることになりました。また、松澤さんは、クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」が大船渡港に来港した際、乗客に大船渡の魅力を知ってもらうための試み「三陸の恵みを非常食に」で、調理ナビゲーターを務めるなど、それぞれ大船渡のために活動されているようです。
「気仙空想文化祭」は、震災後、厳しい現実と向き合いながらも、少しずつ復興に向けて歩んで来られたのは、明るい未来を「空想すること」に支えられてきたからだとして、心の復興に大きな役割を果たしてきたアニメや特撮の世界を、みんなで空想出来る催しに、と立ち上げたそうです。で、圭二さんは、その実行委員会の委員長として活動。そのイベントの中で行われた防波堤プロジェクションマッピングは、ネガティブに見える防波堤をポジティブなものに変えるため、また物語がつながるよう思いを込めて、圭二さんと、実行委員会副委員長の高橋麻己子さんが「空想」したものを映像化したそうです。
▼防波堤プロジェクションマッピング(気仙空想文化)
もう一つ、86歳の看板娘・高橋コウさんと、伊勢恵美さん親子が、大船渡を元気にするため、屋台村に出店した「おふくろの味えんがわ」は、残念ながら、2014年の暮れに閉店。多くの人に惜しまれながら閉店でしたが、コウさんが最初から、「3年ならやってもいい」と話していたこともあって、コウさんの健康面も考え、閉店を決めたそうです。「えんがわ」にも何度かお邪魔し、名物のひっつみ汁セットを食べたり、豆からひかせてもらってコーヒーをご馳走になったりしました。
その後、伊勢さんは、「えんがわ」での経験と、全国から来店した多くの人たちとの出会いによって、「誰かのためになること、喜んでもらうことをしたい、そのような生き方をしたい」と、強く思うようになったそうです。そこで、「誰かのため、喜んでもらうため」に、美容関係の仕事をしていた頃の夢だった「自分のサロンを持つ」ことを決意。改めて、日本リラクゼーションフットケア協会と日本ケアリンパ協会を取得し、今年1月から陸前高田市に、リラクゼーションサロン「plumeria(プルメリア)」をオープンしました。ちなみに、プルメリアは、ハワイでは「大切な人の幸せを願う」という意味があり、ご自身もそうありたいという願いを込めて、名付けたそうです。
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