「復興屋台村 気仙沼横丁」OBたちのいま

復興屋台村 気仙沼横丁

以前のブログで、「復興屋台村 気仙沼横丁」(「復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち」)のことを書きましたが、今回は、屋台村に出店していた方たちのその後です。気仙沼横丁は、プレハブ造りの仮設商店街として、震災の年の11月12日にプレオープン。2017年3月20日の閉村まで、市民や漁業関係者、観光客、ボランティアなどが集まる拠点となり、震災によって真っ暗になった街に温かな明かりをともし続けました。

気仙沼横丁は、「かに物語」や「浜市水産」など、物販の店もありましたが、屋台村の提灯に明かりがともってから営業する飲食店が中心でした。そのため、ランチ営業をする店はあっても、夜の仕込みなどのため、いったん店を閉める店舗がほとんどでした。その中にあって、ラーメンの「あたみ屋」は、ずっと通しで営業。店を閉め片付けをして、仮設住宅に帰ったのは夜中の1時過ぎなんてこともざらだったようです。「さすがに疲れるけど、働いているのは楽しいし、せっかく屋台村まで足を運んでくれたお客さんが、どこも開いておらず、がっかりして帰られては申し訳ないから」と、店主の大友月子さんは話していました。

拉麺のみ処 あたみ屋
気仙沼横丁時代の「あたみ屋」

大友さんは震災前、気仙沼の中心地から南へ下った階上で、「五右エ門ラーメン」という店を40年近く営んでいました。震災の日は、奇しくも60歳の誕生日だったそうです。国道45号沿いにあった店は、津波で流され、南町で屋台村が開設されるとの話を聞き、出店を決めました。この時、店の名を「あたみ屋」に変えましたが、これは「明るく、楽しく、未来の気仙沼」の頭文字をとって名付けたそうです。

屋台村が閉村した際、大友さんは、「震災の年の11月にオープンして5年と4カ月。真っ暗な街の中に数百個もの赤提灯の灯りと共に、私たち震災で店を流された店主たちにも明かりをともして頂いて今があります。 この間、全国からたくさんの方がご来店くださり、皆様との出会いと絆に心から感謝します。あたみ屋の明かりを消さぬように、­今、出来ることをしながらがんばりますので、よろしくお願いします。ありがとうございました」と話していました。

拉麺のみ処 あたみ屋

それから3年と2カ月が経った2020年5月18日、大友さんは、「拉麺のみ処 あたみ屋」として、スローストリート「結(ユワエル)」の中で、再々出発を果たしました。

「結(ユワエル)」というのは、2020年7月18日にグランドオープンした四つの商業観光施設の一つで、他に観光集客施設「迎(ムカエル)」、気仙沼アムウェイハウス「拓(ヒラケル)」、気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ「創(ウマレル)」があります。

気仙沼市南町
気仙沼横丁オープン当時の南町

このうち「創(ウマレル)」は、大島行きのフェリー乗り場の前にあった「エースポート(気仙沼市観光物産センター)」と「気仙沼市勤労青少年ホーム(サン・パル)」を合築再建した施設だそうです。で、その横に「迎(ムカエル)」があり、道路を挟んで、この2施設と向かい合う形で、「拓(ヒラケル)」と「結(ユワエル)」が建っています。

気仙沼 エースポート
気仙沼横丁オープン当時の気仙沼港フェリーターミナル

更に「結(ユワエル)」の奥には、「南町紫神社前商店街」が出来ています。ここは震災の時、南町の住民が、商店街の裏手にある紫神社に避難して助かったことから、神社の名を冠したそうです。この「南町紫神社前商店街」には、気仙沼横丁出身の「男子厨房 海の家」と「ソウル優ちゃん(元・豚姫)」の2店が入っています。

「男子厨房 海の家」は、震災前、中心地から10kmほど離れた階上地区の岩井崎で、民宿「吹上荘」を営んでいた畠山仁義さんの店です。「吹上荘」は津波で全壊し、一緒に民宿を切り盛りしていた義父母と義妹を失いました。畠山さんは、消防団員として行方不明者の捜索や、犠牲となった方の遺体収容を担いました。

男子厨房 海の家
「男子厨房 海の家」の海鮮丼

その後、屋台村構想のことを聞き、前に進むために、自分と同じように民宿と自宅を失った仲間2人を誘い、共同で居酒屋「男子厨房 海の家」をオープンさせました。一緒に始めた仲間は、閉村を待たずに独立していきましたが、畠山さんは最後まで屋台村で営業を続けました。

気仙沼横丁の閉村に当たって、畠山さんは、「屋台村は震災後の自分の居場所だったし、多くの人が支えてくれた大切な場所だったから、存続させたかった。無くなると寂しくなる」と話していました。そして、屋台村へのせめてもの恩返しだとして、「南町紫神社前商店街」の新店舗でも屋台村の雰囲気を再現しているそうです。

割烹世界
「割烹世界」のランチプレート

「南町紫神社前商店街」には、昭和4年創業の老舗料亭「割烹世界」も入っています。ここは、仮設商店街の「南町紫市場」時代に、ランチで入ったことがありますが、プレハブの長屋風商店街であっても、店内は老舗の風格さえ感じさせる美しい作りとなっていました。かつては外壁一面に蔦が生い茂り、風情ある趣を見せていたそうで、「仮設だからと言っていい加減なことは出来ないし、お客さんにゆっくりして頂きたいから」と、店主の坂本憲一は話していました。

「南町紫神社前商店街」の隣のブロックにある昭栄ビルの3階には、屋台村時代は、うどんをメインに出していた「たすく」が、居酒屋として店を再開させています。店主の牛島祐子さんは、震災前は郡山で居酒屋を23年やっていましたが、震災を機に、実家のある気仙沼へ戻って来ました。店の名は、祐子さんの名前の一文字「祐」を「たすく」と読ませたもので、お嬢さんのアイデアとのことです。

居酒屋たすく
気仙沼横丁時代の「たすく」

気仙沼横丁では、うどんがメインではありましたが、夜は居酒屋的メニューも加え、お酒を出していました。牛島さんが、手打ちうどんの修業をしたのは、私が住む埼玉県越谷市のイオンレイクタウンにあった讃岐うどんの店「いわい」だったので、お店に行った時は、越谷の話、震災前にいた郡山の話など、いろいろな話が出来ました。場所が移転した現在は、居酒屋として営業。ランチの漁師の賄い丼は、ボリュームたっぷりで、多くの人がオーダーする名物料理になっているようです。

居酒屋たすく

また、気仙沼市魚市場の近くにある「気仙沼 みしおね横丁」には、気仙沼横丁の事務局長を務めていた小野寺雄志さんの店「PRISM」があります。小野寺さんは、「全国の人たちと深いつながりを持つことが出来た『横丁の文化』を、屋台村の閉村で終わらせたくない」と活動。「復興屋台村 気仙沼横丁」のDNAを受け継ぎつつ、2019年夏に、トレーラーハウス型の店舗集合型横丁という新たなスタイルで「みしおね横丁」をオープンさせ、自らもバーを出店しました。

気仙沼市南町かさ上げ
気仙沼市南町のかさ上げ

この「気仙沼 みしおね横丁」には、気仙沼横丁での「七輪屋500」として営業していた熊谷美幸さんの店「Cheers」も入っています。熊谷さんは、「復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち」に書いたように、屋台村にあった「大漁丸」の菊地正男さん、幸江さんご夫婦の娘さんで、閉村後、屋台村気仙沼横丁を残す会の代表を務めるなど、気仙沼横丁への思いが強い方です。

復興屋台村 気仙沼横丁

閉村の時には、「全国、全世界からご支援頂き、なんとか今日までやってこられました。ありがとうございます。ご支援頂いた皆様への恩返しは七輪屋を継続することと思ってやってまいりましたが、残念ながら移転先が決まっておりません。力足らずでご恩に報いることが難しい状況です。しかし、最後の最後まで悪あがきしながら営業させて頂きます」と話していた通り、「七輪屋500」として、キッチンカーなどで各地のイベントに出店したりしているようです。ちなみに、ご両親の「大漁丸」は、出身地である大島に戻り、店を再開しています。

「かに物語」海の市店

なお、「気仙沼 みしおね横丁」の近くには、私のお気に入りで、気仙沼に行った時には毎回寄っていた「かに物語」(「復興屋台村取材で出会った気仙沼の名物グルメたち」)も入る「気仙沼 海の市」や、気仙沼パークホテル、ホテル一景閣などの宿もあるので、このエリアも要チェックです。

気仙沼パークホテル

気仙沼パークホテル

気仙沼パークホテルは、「みしおね横丁」から歩いて3分ほど。塩辛で全国的に有名な小野万(小野寺邦夫社長)が運営するホテルで、土地のかさ上げを行った上で新築しました。本体の小野万も津波で本社工場4棟が全壊しましたが、全損を免れた第2工場の2階を改修し、震災の年の10月から一部商品の生産を再開。「家が流され仮設から出社した従業員らと震災後初出荷を見送った時は感無量でした」と小野寺社長。その後、2013年2月に本社工場が落成、ホテルも14年4月23日から営業再開も果たしました。

ホテル一景閣

ホテル一景閣


ホテル一景閣は、気仙沼パークホテから100mほど、一景嶋神社の側にあります。海鮮割烹の宿として人気を呼んでいましたが、震災で大きな被害を受け、ホテルの会長・斉藤徹さんは廃業も考えたと言います。それでも震災から1年2カ月の2012年5月15日に営業を再開。斉藤会長は、「復興の拠点として、一日も早く気仙沼港に明かりをともしてほしいという、地元の励ましに支えられての復活でした」と語っていました。

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