日本三景松島の海が産んだ美味の結晶「松島カキ」

五大堂

松島町は日本三景の観光地として、毎年多くの観光客が訪れています。しかし、松島町によると、昨年2020年は、160万7000人余りで、統計が残る1989年以降で最低だったそうです。東日本大震災が起きた2011年でさえ、約224万の観光客があり、200万人を割り込んだのは初めてとのこと。前年比46.1%減という数字から、新型コロナウイルス感染拡大の影響が、いかに大きいかを物語っています。

「八百八島」と称される、松島湾の島々は、松の緑が美しく、昔、松尾芭蕉はその風光の見事さに、句をよむことなく、文字通り絶句したとも言われています。また、伊達政宗の菩提寺である瑞巌寺や五大堂を始め、国宝・重要文化財が多い文化史跡の町でもあり、最盛期の1991年には約526万人の観光客を迎え、私がカキの取材に行った2000年頃でも、年間400万~450万人が訪れていました。

五大堂
元禄2(1689)年3月27日、松尾芭蕉は、門人の曾良を伴い江戸を発ちました。約150日、行程600里(2400km)に及ぶ長旅、『おくのほそ道』への旅立ちです。

『おくのほそ道』は、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まりますが、この序文の後半に、「三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて」と、松島のことが出てきます。現代風に訳すと、「(長旅に備えて)足三里のツボに灸をすえているうちから、早くも松島の月が心に浮かんで・・・」と、旅の準備をしていても、気持ちは既に松島へ飛んでいる芭蕉なのでありました。

で、『曾良旅日記』によると、芭蕉と曾良は、5月9日の朝、塩釜から船に乗って、昼に松島に到着しています。そして、まず瑞巌寺に参拝して、寺を拝観した後、雄島に渡って雲居上人の修業跡を見て、更に八幡社・五大堂を見学。松島では、久之助という人のお宅に泊まりました。

『おくのほそ道』では、この久之助宅を「月、海に映りて、昼の眺めまた改む。江上に帰りて宿を求むれば、窓を開き二階を作りて、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ(月が海に映り、昼の眺めとは違った趣を見せている。入り江のほとりに帰って宿をとると、オーシャンビューの大きな窓がある2階建ての旅籠で、窓から外を眺めると、自然の中で旅寝をするかのような、不思議なほどの心地よさを感じた)」と表現しています。こうして芭蕉は、旅の前から、わくわくを抑えられないほど楽しみにしていた「松島の月」を眺めたわけです。

その久之助さんの家が、最近になって、江戸後期まであった「熱田屋」という旅籠だったのでは、と言われています。

瑞巌寺

江戸時代に、仙台・大崎八幡宮の神官だった大場雄淵が、仙台領の名所旧跡や風物、歴史などを、詳細な文章記述と細密な絵図描写で著した「奥州名所図会」によると、芭蕉が松島を訪れた元禄2年当時、松島にあった2階建ての宿は3軒で、芭蕉はそのどれかに宿泊し、月を見たと言われていました。そして、地元の方が、『曾良旅日記』にあった「松島ニ宿ス。久之助ト云」をヒントに、3軒を調べていたところ、「熱田屋」の末裔のお宅に「久作」や「久助」などの位牌があり、更に「久」の字が入ったはんてんやお椀も見つかって、代々「久」の字が通字になっていた「熱田屋」こそ、芭蕉の宿だったのだろうとされたようです。

日本では、平安時代後期から、代々、特定の漢字を名前の一字に使う「通字」という習慣があります。有名どころでは、足利家の「義」とか「氏」、織田家の「信」、徳川家の「家」などで、我が家の場合、「重」が、通字になっていました。

瑞巌寺

それからすると、「熱田屋」は有力なんですが、桜田門外の変があった、江戸末期の1860(万延元)年に廃業してしまったそうで、その跡地は現在、蔵王に本社がある丸山グループの観光事業部「松島玉手箱館」になっています。ちなみに、丸山グループは、山元町のブログ(「ホッキ貝とイチゴの二枚看板。宮城県東南端のおいしい町」)で、「工房地球村」のカフェ・プロジェクト支援に貢献したとして紹介したSYさんが副社長を務める会社です。

瑞巌寺参道

ところで松島は、カキの産地としても知られています。宮城県産のカキの水揚げ量は国内シェアの約20%で、特に松島町を中心とした松島湾が有名です。松島産のカキは、殻は小さめですが、身の大きさと、味にコクがあるのが特徴で、市場でも高値で取り引きされています。

そもそもカキは、古くから世界中の人々が生で食べてきた希有な食材です。人類がカキを食べ始めたのは2000年以上も昔だと言われます。養殖も、簡単なものが古くから中国で行われ、またローマ時代の5世紀にナポリで養殖されていた記録もあります。そして今や、北はノルウェーから南はニュージーランドまで、世界各地で養殖されています。

日本の養殖は江戸時代、広島で始まったとされます。アサリやハマグリを囲ったヒビに付着して成長したマガキにヒントを得て、始めたものらしいのですが、その後、大正時代に筏式垂下養殖法が考案され、養殖技術は著しく進歩しました。


カキの養殖は採苗、養成、身入れの3段階があります。カキは内湾の水温23~24度以上になる5~8月頃が産卵期で、海中を浮遊している幼生は0.4mmぐらいの大きさになると岩に付着し始めます。この時期を見計らってホタテガイの殻を連ねた付着器を海中に入れ、稚貝を付着させて採苗します。成長のいい養殖に適した稚貝を、多量に採苗することが出来る水域は限られていますが、その点、松島湾は絶好のロケーションとなっています。この稚貝を水質、底質がカキの成長に適した海底にまきつけ成長させるのを養成と言います。こうして十分に成長したカキを、えさの特に多い水域に移すと、1~3カ月でグリコーゲンが蓄積され、味がよくなります。

カキの旬は11月から3月まで。西洋では「月の名にRのつかない期間(5~8月)にはカキを食べるな」と言われます。松島では毎年、旬の2月第1日曜日に、「松島かき祭り」が開かれます。松島海岸には200mのジャンボ炉端も登場し、カキ殻焼き、カキ鍋、カキ雑炊と、さまざまなカキ料理が作られ、無料で味わえます。中には朝から夕方まで、炉端の前から動かない猛者もいるほどの人気ぶり。

今年で42回目となるはずでしたが、新型コロナウイルスの影響で中止となりました。震災以降も中断することなく続けられてきた松島の一大イベントだけに、残念ですが、コロナを収束させて、来年には冬の観光名物が復活することを期待したいものです。

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