ホッキ貝とイチゴの二枚看板。宮城県東南端のおいしい町

山元町震災遺構 中浜小学校
山元町震災遺構 中浜小学校

山元町は宮城県東南端、東は太平洋に面した直線的な砂丘海岸が続き、南は福島県新地町に接しています。東日本大震災では海岸沿いの地域が壊滅的な被害を受け、町民637人の命が失われました。常磐線が海寄りを走っていたため、宅地や商業地の被害も大きく、浸水域の人口は約54%、町の半数以上の人が被災しました。

しかし、震災からしばらくは、山元町の状況が報道されることはほとんどありませんでした。福島第1原子力発電所が約60kmの場所にあり、原発事故の影響で、いつ避難を迫られるかもしれず、町では報道関係者の受け入れを断っていたのだといいます。そのため市民レベルの支援が届きにくく、水や食糧などの物資は自衛隊による救援に頼っていました。

そうした中、いち早く支援の手を差し伸べたのが、前のブログ(「震災後初のゴールデンウィークに新地町で炊き出しイベント」)で紹介した岐阜のOTさんたちでした。ちょっとかぶる部分もありますが、経緯を説明すると、OTさんは、東日本大震災後、すぐに沿岸部の各市町村災害対策本部に連絡。その中で3月14日、相馬市災害対策本部から食料品などの支援要請が入り、3月22日に支援物資を持って相馬を訪問しました。

山元町震災遺構 中浜小学校

その後、3月24日には、山元町からの支援要請も入り、山元に対しても必要とされた物資を支援することになりました。これは、22日に相馬を訪問した際、相馬の受け入れ窓口となった八坂神社の岩崎和夫宮司が、相馬と山元の中間にある新地町の方にも連絡し、必要物資を受け取りに来た新地のライオンズクラブから山元のライオンズクラブへ情報がもたらされたことによるものだったようです。

OTさんたちは、再度、支援物資を調達。そして4月1日に、東京のFSさんらと共に、山元町へ搬入しました。この時、山元ライオンズクラブの方たちが集まったのは、いつも例会を開いていた「レストランわか菜」でしたが、オーナーの渡邊一雄さんは、奥の座敷を開放しており、当時は被災された方たちが、30人ほど身を寄せ合って暮らしていたそうです。

ここでOTさんたちと合流したライオンズの方たちは、OTさんたちのトラックを誘導して避難所を回り、支援物資を配布しました。驚いたことに、物資が入った段ボールには北海道から沖縄まで、全国のライオンズクラブの名前が書かれていました。OTさんたちは、災害救援などを目的としたライオンズ関係者のSNSで物資を集め、その代表として山元入りしていたのです。

カフェ地球村

OTさんたちが搬入してくれた支援物資配布を機に、山元ライオンズクラブは被災地のクラブとして、支援の手が届きにくい人たちや施設を対象にした活動に取り組み始めました。その一つ「工房地球村」は、社会福祉協議会が運営する共同作業所でしたが、震災後は仕事が3分の1に激減していました。

カフェ地球村
そんな中、地球村を震災前の状態に戻すだけではなく、それ以上に発展させようと、カフェ・プロジェクトが浮上。県外から支援に来ていた精神科医師や、交代で仕事を手伝ってくれた全国の社協スタッフらの協力で、作業所脇に「カフェ地球村」を作ることになりました。

このカフェ・プロジェクトには、被災した各地で支援を展開していた、東京の奉仕団体も協力していました。宮城県松島市で開催された被災地支援のための会議に、その中の一人YTさんが参加しており、YTさんからプロジェクトの話を聞いた山元ライオンズクラブは、その後、地球村を訪ねて実情をヒアリング。聞くと、「難民を助ける会」からトレーラーハウスを寄贈してもらえるが、障害を持つ人たちやお年寄りが安心して働いたり利用したりするには、スロープ付きのウッドデッキが必要とのことでした。

そこで、クラブとして支援することを決め、当時の宮城県地区責任者だった蔵王のSYさんに相談しながら、震災復興支援本部に交付金を申請。ライオンズクラブ国際財団の援助金約200万円を受け、土地の整地とウッドデッキ及びスロープ等の付帯工事を行いました。

「カフェ地球村」は現在、障害を持つ方が働く場としてだけではなく、「工房地球村」で作った自主製品の販売拠点にもなっています。また、町民の憩いの場としても親しまれ、にぎわいを見せているそうです。

カフェ地球村

蔵王のSYさんはその後、被災地視察の一環で、「カフェ地球村」を訪問。その時のことを、次のように振り返っています。

「香り豊かなコーヒーと山元町名産のイチゴのクッキーを頂き、慣れた接客にも大変満足しました。施設長から現況報告も伺いましたが、山元町のお土産としてクッキーやジャムがよく利用され、十分運営出来て喜んでいるとの説明がありました。帰り際、我々の車が見えなくなるまで手を振っていた施設の子どもたちの姿に、改めてカフェのお手伝いが出来たことに喜びを感じました」

ところで、山元町の特産は、「カフェ地球村」でも扱っているイチゴ、そしてもう一つが、ホッキ貝です。

山元町と、お隣の亘理町は、穏やかな気候風土で、「イチゴ王国」と呼ばれていました。このように、イチゴは山元町の基幹産業となっていて、震災前は129軒の農家がありました。しかし、多くのハウスが津波にのみこまれてしまい、無事だったのは7軒のみ。まさに壊滅状態でした。

再建するには多額の資金が必要で、多くの農家は途方に暮れるだけだったと言います。そこで、イチゴ農家の一人、岩佐隆さんは、他の農家に呼び掛け、会社組織で栽培を始めることにしました。そして震災の3カ後に「山元いちご農園株式会社」を設立。9月にハウスを建て、10月から植え付けを始めました。

急いだのは、生産者が離れるのを防ぐためでした。また、雇用の創出も急務。創業メンバーの4人は、自分たちの手で産地としての山元を守り、イチゴの再生を町の復興に結び付けるのだ、という強い思いを持っていました。

山元いちご農園株式会社

ただ、津波により土壌の塩分濃度が高くなり、それまでやっていた地植えによる栽培が出来なくなりました。そこで、イチゴ栽培の再開を機に、高設栽培方式に切り替えました。そして現在では、総面積3万2000平方mの広大な敷地に、イチゴの苗23万本が生い茂る、東北最大級のイチゴ農園となっています。

山元いちご農園株式会社
山元いちご農園の岩崎隆さん

また、最初に取材させて頂いた時は27人だった社員も、現在は40人にまで増え、更にイチゴの栽培だけではなく、イチゴワインのワイナリーや、自社製イチゴをたっぷり使った手作りバームクーヘンの工房も併設。岩崎さんは、「農園を中心に、イチゴ生産の担い手を育てると共に、交流人口を増やして情報発信し、年間を通じて観光客に来てもらえるような拠点施設にしたい」と、熱く語っていました。

6月中旬までは、ハウスでイチゴ狩りも出来ます。新型コロナウイルス感染症が、ある程度収束して、県をまたいだ移動も出来るようになったら、実際に訪問して、山元のイチゴを口にしてみてください。(※現在もイチゴ狩りは実施していますが、新型コロナウイルスの基本的な感染予防対策に加え、密を避けるために時間及びハウスの配分を行い、通常200人入るハウスの定員を50人に減らして受け付けているそうです。詳しくは、山元いちご農園のウェブサイトをご覧ください。→https://www.yamamoto-ichigo.com/index.html

一方、山元のホッキ貝は、大ぶりで甘みが強いのが特徴です。12月から4月にかけては、町内の多くの家で、ホッキ貝をふんだんに使った炊き込みご飯「ホッキ飯」が作られます。学校給食に出るほどで、農林水産省の「郷土料理百選」にも選定されています。

ホッキ飯

一時、被災された方たちが、避難生活を送っていた「レストランわか菜」でも、1月から4月まで、メニューに「ほっきめし」が載ります。「ホッキ飯」は、山元の郷土料理ということもあって、素材のホッキ貝は、地元の荒浜漁港(亘理町)と磯浜漁港(山元町)に水揚げされたものだけを使用しており、提供は、その漁期内ということになります。

私も、たまたまこの時期に取材に伺ったので、「レストランわか菜」でご自慢の「ほっきめし」を頂くことが出来ました。とてもおいしいので、ホントお勧めです。 

ちなみに、「レストランわか菜」は、ロブスターやステーキ、オムライスなどの洋食から、とんかつ定食や焼き肉定食などの定食メニュー、ピザやグラタンなどの軽食など、さまざまなメニューがあります。その中で、「ほっきめし」は1〜4月の限定ですが、季節メニューとしては他に、5〜8月「ほたてかにめし」、6〜7月「しゃこえびごはん」、そして9〜12月にはこれまた郷土料理の「はらこめし」があります。

レストランわか菜 ホッキ飯

※追記:OTさんとFSさんが山元町へ物資を搬入してから丸11年目の2022年4月1日、カフェ地球村休止のお知らせが、山元町共同作業所(工房地球村)のFacebookページに投稿されました。トレーラーハウスの老朽化や建築基準等によるものだそうで、投稿は次のように結ばれていました。

震災で活動内容が減ってしまい、これから先どうすれば良いか、悩んでいた私たちに希望の光を届けて頂きました。被災者である仮設住宅の住民さん、全国から支援に来てくださる支援者の皆様、そして、工房地球村の利用者たちが「つながる」場所として、カフェで働けるという「やりがい」がある場所として本当に大きい存在でした。震災後、住民が憩える場所として、利用者が働き輝ける場所として、支援者と支援者が繋がれる場所として本当に貴重なかけがえない場所でした。それをご支援頂いた皆様方に改めて、御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

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