震災を乗り越える「社とさかなの町」塩竈

陸奥国一宮・鹽竈神社

2013年の9月20日、陸奥国一宮・鹽竈神社で開催されたイベントを取材しました。

しおがまさま 神々の月灯り
これは、塩釜青年四団体連絡協議会(志波彦神社・鹽竈神社氏子青年会、塩釜市水産連合会、塩釜商工会議所青年部、塩釜青年会議所)により、2005年から始まったもので、「しおがまさま」の愛称で親しまれる鹽竈神社の参道や、202段の表坂がライトアップされるイベントです。毎年春と秋の2回、開催されており、春は「しおがまさま 神々の花灯り」、秋は「しおがまさま 神々の月灯り」と題して実施されています。

取材したのは秋なので、「月灯り」の方です。夜になると、神社へ続く参道や表坂に並べられた竹灯籠に火がともされ、訪れた市民や観光客らは、昼間とは違う「しおがまさま」の幽玄な表情に酔いしれていました。また、かがり火がたかれた舞殿では、雅楽や琴の演奏が行われ、月灯りの下、雅な音色の響宴を楽しみました。

で、この日は、午前中に塩竈に入り、「月灯り」が始まるまで、「しおがま・まちの駅」や、仮設商店街「しおがま・みなと復興市場」、塩竈の名にも関係する藻塩製造の「顔晴れ塩竈」などを取材していました。そして、17時過ぎにいったんホテルへ戻り、撮影機材を絞って、鹽竈神社へ向かいました。

顔晴れ塩竈

すると、ホテルから鹽竈神社へ行く途中にある「浦霞」の酒蔵が、夜になってもまだ開いていて、中で若い女性たちが利き酒をしている風です。そこで私も、ついふらふらっと店の中に入ってしまったところ、その日は「しおがまさま 神々の月灯り DE 酒蔵」というイベントを併催していたことを知りました。

浦霞(佐浦)
それは、塩竈にある「浦霞(佐浦)」と「阿部勘(阿部勘酒造店)」、更には以前には塩竈にも蔵(勝来酒造)があった「一ノ蔵」の三つの蔵元を、この機会に飲み歩きするという企画でした。そうと分かれば、「阿部勘」「一ノ蔵」「浦霞」と、塩竈「あ・い・う」の酒蔵を一挙に回れるこの機会、逃す手はないと、速攻でチケット代わりのオリジナルグラスを購入(これ自体、レアものですね)。そのグラスを持って、三つの蔵(正確には「一ノ蔵」は「熊久」という酒屋さんを借りて実施)を回ってきました。

このうち、「浦霞」の佐浦には、以前も訪問したことがあります。2008年4月に、志波彦神社鹽竈神社の総代を務める志賀重信さんを取材した時のことです。この時は、私一人ではなく、カメラマンの田中勝明さんと、ライターの砂山幹博さんが一緒で、取材後、3人で塩竃市をぶらぶら。佐浦で「浦霞」を買い込み、1909(明治42)年創業の老舗和菓子店・榮太楼でなまどら焼にチャレンジ、更に闇市巡りもしました。

「闇市」というのは、本塩釜駅の近くにあった塩釜海岸中央鮮魚市場の通称で、生マグロの水揚げ日本一を誇る塩竈市で一番古い魚市場でした。私は、塩竈からそのまま、福島県の石川町へ取材に行ったためパスしましたが、田中さんと砂山さんは、闇市で生食用のクジラのブロックを買っていました。お二人が、思わず買い物をしてしまうように、闇市は、地元の人ばかりか、観光客にも親しまれていました。しかし、2011年の東日本大震災で、2mを超える津波に襲われ、市場は廃墟と化してしまいます。

阿部勘(阿部勘酒造店)

「闇市」を含む塩竃市海岸通は、塩竈港から歩いて5分ほどの場所にあるJR仙石線本塩釜駅を中心とした地域です。「闇市」は、この海岸通の2番地区にありました。そして、この2番地区と隣の1番地区は震災後、塩竈市の「海岸通地区市街地再開発事業」予定地となり、闇市にあった店のいくつかは、宮城県の被災地では最初の仮設商店街として震災5カ月後にオープンした「しおがま・みなと復興市場」に入りました。

マリンゲート塩釜

「しおがま・みなと復興市場」は、浦戸諸島を結ぶ汽船や、松島遊覧船の発着場となっているマリンゲート塩釜に隣接し、観光客も入りやすい商店街でした。しかし、仮設商店街の宿命で、2015年に閉鎖。いくつかの店舗は、新たに「しおがま千賀の浦市場」を立ち上げ、移転しました。「しおがまさま」の取材の際、昼食をとった海鮮食堂「やま登」は、マリンゲート塩釜に入っているようです。「やま登」は、震災前、塩竈から松島へ向かう国道45号沿いにあり、鯨の竜田揚げ定食があったそうなんです。仮設商店街ではメニューに載っていませんでしたが、今はどうでしょうね。

塩竃市海岸通地区市街地再開発

再開発事業予定地の1番地区と2番地区には、被災後、大きく「覚悟。」と書かれた看板が掲げられ、中心街の復興に向けた地元の方たちの断固たる思いが伝わってきました。そして昨年、1番地区に14階建ての住宅棟と3階建ての事務所棟、5階建ての駐車場棟が、2番地区に食を中心とした商業棟が竣工。2番地区の商業棟は、「塩竈・直会横丁」 として、鹽竈神社の門前町の風情を採り入れる予定だそうです。新型コロナウイルスの影響で、実際に行っていないため、進捗状況が分からないのですが、当初はこの3月にオープンする予定と聞いていたので、近いうちにいいニュースが聞けると思います。

スマイル猪口
ここで、話を少し戻しますが、「しおがまさま 神々の月灯り」の2年後、今度はカメラマンの田中さんと二人で、塩竈を取材しました。この時の取材記事は、別に作ったまとめブログ(「震災を乗り越え、明日へ踏み出す人々 - 塩竈」)で紹介しているので、出来ればそちらもお読み頂きたいのですが、ここで田中さんと私は、翌日に撮影を予定していた鹽竈神社と御釜神社のロケハンを終えた後、またしても「浦霞」の蔵元へ、ついふらふらっと足を向けてしまったわけです。

しおがまさま 神々の月灯り DE 酒蔵
そして、オリジナル猪口を購入すると、月替わりで旬のお酒3種類が試飲出来る「きき酒コーナー」へと吸い寄せられたのです。このお猪口、通常は蛇の目模様なんですが、東日本大震災のあった3月だけ、1000個限定のにこにこマークに変身。その上、その夜は特別サービスで、旬のお酒3種類に加えて、宮城県限定の浦霞と、震災で被災した際のもろみを活用した、数量限定の梅酒まで飲ませて頂き、お猪口そのままのにこにこ顔で、お店を後にしました。

さて、更に時を戻しまして、「しおがまさま 神々の月灯り DE 酒蔵」で、オリジナルグラスを持って、3軒の酒蔵巡りをした私ですが、千鳥足になることもなく、無事に202段の参道も克服し、「しおがまさま 神々の月灯り」のイベントを撮影。帰る途中、本塩釜駅に近い「すし哲」で夕食をとりました。ふだんは晩酌はしないのですが、酒蔵巡りをした勢いで、浦霞のひやおろしを注文。その間、ちょこっとつまむために、煮だこと赤貝を切ってもらいました。赤貝は、二つ前のブログ(「全てを失った閖上地区の復興に向けて」)でも紹介した、名取市閖上産の赤貝でした。

すし哲

すし哲 煮だこ

最後に頼んだにぎりは、有田焼の皿に盛られて出て来たので、聞いてみると、この店では以前からこのスタイルだそうです。しかもこれ、すぐ近くで営業している「鮨しらはた」も同様で、実はこの両店、「鮨しらはた」が兄(白幡邦友さん)、「すし哲」が弟(白幡泰三さん)という正真正銘の兄弟店だということでした。その上、人口に対して日本一寿司屋が多いと言われる寿司激戦区・塩竈で、どちらも三本の指に入る有名店なのです。

すし哲 閖上産赤貝

鮮魚店をしながら寿司店を営む両親の元で育ったご兄弟ですが、兄の邦友さんが、帝国ホテルの寿司店で修行するなど、最初から寿司職人の道を歩んだのに対し、弟の泰三さんは、デザインの仕事を経て家業を継ぎました。その後、父・哲郎さんの名前を屋号として「すし哲」を創業。兄も地元へ戻り、1986(昭和61)年に「すし哲」から独立して、「鮨しらはた」を創業されたそうです。

すし哲

震災前、この二つの寿司店は、「闇市」を挟むように建っていました。そして、「すし哲」も「鮨しらはた」も、「闇市」同様、津波により大きな被害を受けます。どちらも店の1階が完全に水没し、破壊されてしまいましたが、関西から業務用冷蔵庫を仕入れたり、1階部分を改装したりして、震災の約1カ月半後には営業を再開しました。「塩竈のすしの灯を消してなるものか、その気概でここまでがんばってきました」と泰三さんは話しています。

ところで、2008年に取材させてもらった志波彦神社鹽竈神社の総代・志賀さんは、東日本大震災後、会社を長男に任せて、次男の史康さん、三男の正崇さんと共に支援物資の受け入れ、配送に奔走する毎日を送っていました。震災後、志賀さんから伺った話を元に、当時を振り返ってみます。

鹽竈神社

「塩竈のうち、松島湾に点在する浦戸諸島は全て津波に襲われましたが、本土地区の浸水範囲は約22%で、沿岸市町村では比較的被害は少なかったと思います。ただ、海に近いエリアではやはり津波被害があり、私の会社も1階部分は完全に津波で流され、ショーウインドウには折れ曲がった信号機が突き刺さっていました。

それでも会社で保有していた4台のトラックは全て無事だったので、支援物資の受け入れ・配布を引き受けました。また、隣のガソリンスタンドも津波で完全に機能を喪失していたため、その敷地もお借りし、震災から1カ月間は全国から寄せられる支援物資の中継基地として活動をしていました。送って頂いた物資は、塩竈だけではなく、近隣の多賀城や七ケ浜はもちろん、県南の山元から県北の気仙沼まで、沿岸部の被災地へ搬送しました」

”わ“で奏でる東日本応援コンサート

その志賀さんが中心となって、2017年7月8日、塩竈市の遊ホールで、「”わ“で奏でる東日本応援コンサート2017 in 塩竈」が開催されました。これは被災地支援の輪を広げ、音楽で復興を後押ししようと、2013年から東日本大震災の被災地と東京で継続的に実施されていたもので、25回目を迎えたその時は、志賀さんが所属する塩釜ライオンズクラブが主催し、第70回塩竈みなと祭の記念事業として行われました。

”わ“で奏でる東日本応援コンサート

この”わ“で奏でる東日本応援コンサートには、ジャズピアニストの故・前田憲男さんを中心に、歌手の渡辺真知子さんやEPOさん、またサーカスなどの支援アーティストが参加。地元の合唱団や吹奏楽団、アマチュアバンドなどと共演し、音楽を通じて被災地の方たちと支援者が心をつなぎ、絆を深める場となることを目指していました。塩竈でのコンサートには前田さんとEPOさんが出演。これに地元で活動するアマチュア・ミュージシャンや混声合唱団、塩竈市立第一中学校と同玉川中学校吹奏楽部が加わり、心躍る楽しい演奏が披露されました。

※塩竈市は、宮城県のほぼ中央、100万都市・仙台と日本三景・松島の中間にあり、鹽竈神社の門前町として古くから栄えてきました。鹽竈神社は東北開拓の守護神で、東北で最も多くの初詣客が集まることでも知られます。主祭神の鹽土老翁神は塩竈の人々に煮塩の製法を教えたとされる神様で、毎年7月に行われる鹽竈神社例祭では、鹽土老翁神ゆかりの「藻塩焼神事」によって作られた塩が供えられます。

御釜神社 神竈

この神事は、例祭を前にした7月4日から6日までの3日間、境外末社の御釜神社で行われ、海藻を使って濃度の高い塩水を作り、これを煮詰めて製塩する昔ながらの行程が再現されます。古代の塩作りを伝える神事として、宮城県の無形民俗文化財に指定されています。また、御釜神社は鹽竈神社と同じ鹽土老翁神を祭っており、鹽土老翁神が製塩に用いたと伝えられる4口の竈が安置されています。

別ブログ→「震災を乗り越え、明日へ踏み出す人々 - 塩竈」

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