地元の方お勧めの居酒屋こまつと喜の川 - 一関

厳美渓
厳美渓

今日1月11日で、東日本大震災から9年10カ月となりました。震災後、三陸に行くことが多くなりましたが、震災直後は東北新幹線が不通だったため、花巻空港へ飛んだり、秋葉原から深夜バスに乗ったり、車で行ったりと、なかなかルートが定まりませんでした。

が、4月29日に仙台〜一ノ関間が開通し、東北新幹線が全面復旧してからは、岩手、宮城、福島の新幹線駅でレンタカーを借りて、沿岸部へ向かうようになりました。ただ、当初は、沿岸部やその周辺のホテルなどが、被災された方たちの避難所となっていたため、宿泊はどうしても内陸部に戻って来ることになり、そこを拠点に被災地へ入るという状態でした。

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大船渡線/気仙沼線BRT専用ICカードodeca(オデカ)
例えば、宮城県の南三陸へ行く場合は、くりこま高原駅、岩手県・陸前高田や宮城県・気仙沼は、一ノ関駅という具合です。特に一ノ関駅は、南三陸へのアクセスも良かったことから、何度も利用しており、私にとっては主要拠点の一つになっていました。

震災後、最初に一関を利用したのは5月17日のことで、一ノ関駅でレンタカーを借りて、まず陸前高田を取材。その日は、一ノ関駅前の東横インに泊まり、翌日、南三陸へ向かいました。この時は、神戸のDHさんが被災地の支援活動を模索するため同行していたので、帰りは雄勝町などを経由して4月に復旧した仙台空港へ送り、レンタカーは白石蔵王駅に返しました。

そして、6月2日は、その逆コースで、DHさん同様、被災地を自分の目で見て何が出来るか考えたいという、石垣島の友人SYさんを伴い、くりこま高原駅でレンタカーを借り、先に南三陸へ行って、一関に泊まった翌日、陸前高田へ入るといった具合でした。その後、気仙沼でレンタカーが借りられるようになり、一ノ関から気仙沼まで大船渡線を利用することもありました。

ちなみに、この大船渡線には、ドラゴンレールという愛称があります。愛称の公募が行われた頃、ちょうどアニメの『ドラゴンボールZ』が放映されていたため、小学生を中心に「ドラゴンレール」に票が集まったためだそうですが、路線が龍のように曲がりくねっていたことも影響しています。

大船渡線は、当初、沿岸部までは最短距離を走るはずでした。しかし、政治家が強引に自分の地元へ誘致したため、沿岸部へ向かう線が急に北上。そこから一直線に大船渡へ向かう計画に変更されました。ところがここで、元の計画路線に入っていた町が、対抗勢力に働き掛けを行います。そして、次の総選挙で、そちらが勝ったため、今度は直角に南下し、その後は元の計画通り気仙沼を通る路線となりました。

そんなわけで、大船渡線はだいぶ迂回しているのですが、実は、そのおかげで、岩手県初の国の名勝・猊鼻渓や、伝統工芸の紫雲石硯などがある旧東山町を通ることになったのです。今から30年前、その東山で、紫雲石硯を取材させてもらいました。

紫雲石は、淡い紫色の石の所々に濃紫の雲のような模様があるところから、その名があります。『風土記』によると、1723(享保8)年、仙台藩主伊達吉村が、領内巡視の折に、東山町の夏山でこの硯石を見立て、一般の入山を禁止して「お留め山」にし、採石を藩の手で行い、石を仙台に送ってお抱えの製硯師に作らせたとされています。仙台藩主は、色が似ているところから、中国の銘石になぞらえて日本の端渓と称して、他藩に誇ったそうです。

その後、明治時代になって、雄勝硯の職人が東山に移り住み、紫雲石の採掘や硯の製作を始めました。それを継承したのが、現在、東山で唯一の製硯師である佐藤鐵治さんの祖父・鐵三郎さんでした。鐵三郎さんは、紫雲石硯の灯を消してはならじと、昭和初期に自らノミを手に硯づくりを受け継いだ人で、私たちが取材させて頂いたのは、その息子・幸雄さんでした。

「硯は原石が一番ものを言う」という佐藤さんにとって、原石の採掘は非常に重要。そのため、いつも作業員と一緒に山に入って原石を選び、持ち帰った石は一つひとつ丹念に眺めて選別。石の素性を見極め、出来る限り自然の姿を生かして硯を彫っているとのことでした。

「赤土が、3億年、4億年経って石になる。恐ろしいことですな。そんな石を彫って硯をつくっとると思うと、あだやおろそかな気持ちでは彫れません」と佐藤さん。

居酒屋こまつ
ノミの刃先近くを持ち、長い柄の先端を肩に当て、全身全霊を込めて石に向かい、荒彫りから仕上げ彫りまで、何工程にもわたってノミを替えながら彫り続けます。彫りが終わると、磨きの工程を経て、最後は自ら浄法寺町まで出かけて求めた生漆を塗って、石を固定。全てが手仕事で、出来上がった硯は、それぞれ形も大きさも違うなど、原石の持ち味が生かされ、雅致に富み、優美な味を出していました。

実は、この取材から25年ほど経って、ライターの砂山さんと、カメラマンの田中さんが、同じ紫雲石硯を取材しています。この時は、猊鼻渓や、一関の餅文化なども一緒に記事にしているので、興味のある方は、そちらも読んでみてください。→「奇岩そびえる山水画の世界、進みゆくはこたつ舟 - 一関

さて、一関に泊まった際、よく行っていたのが、居酒屋「こまつ」さんです。陸前高田と南三陸の追跡取材は、大勢の方から話を聞くため、3人態勢で行いました。同行していたのは、2人の女性編集者で、彼女たちに店の選択を任せたところ、この店をセレクトしたのです。

「こまつ」さんは、明治30年に建てられた醤油蔵を改装した店で、昼はそば、夜は新鮮な魚介類の他、自家菜園でとれた曲がりネギや無臭ニンニクなどを提供する居酒屋さんです。日本酒にもこだわりを持っており、岩手県の酒蔵を中心に、青森の田酒や山形の十四代などもラインナップされており、いろいろ楽しむことが出来ます。

私は、2人と一緒の時だけではなく、単独で取材に行った時にも二度ほど寄らせてもらっています。一度は、岡山から来られたというご夫婦とカウンターで一緒になり、いろいろな話をさせて頂き、楽しい時間を過ごしました。ここでは、いつもオリジナルのもっきりを飲むのですが、これは、南部杜氏発祥の里として知られる岩手県紫波町の酒蔵「廣田酒造」で、「こまつ」専用に造ってもらっているものだそうです。そして、〆はいつももりそばです。

ところで、「こまつ」さんはFacebookもやっており、ある時、大船渡へ向かう途中、新幹線の中でFacebookを見ていたら、「こまつ」さんの投稿が目にとまりました。

「久しぶりの投稿m(__)m こちらも久しぶり本マグロ。やっと来ました氷見ブリ」

その時は、ライターの砂山さんと仙台で一つ取材をし、私は翌日の取材に備えて、そのまま大船渡へ入る予定になっていました。しかも気仙沼から大船渡まで、BRTに乗ってみようと思っていたので、車の運転はなしです。一ノ関駅で新幹線から在来線への接続まで1時間以上あるな、と思案していた時に表示されたこの投稿。これはもう、いったん改札を出なさい、と言われているようなもの、と勝手に解釈した私。

運命に導かれるように、「こまつ」さんを目指しました。で、開口一番、氷見の寒ブリを頼んだら、「わざわざ降りてくれたから」と、本マグロをおまけしてくれました。もちろん、お酒はオリジナルのもっきり。この日も、お酒と料理を堪能して、大船渡へ向かいました。

ちなみに、一関ではもう1軒、駅前にある「喜の川」というお店にも入りました。一関には、SNSの友人で、私と同じ名字の方が2人いるのですが、一人は、ご家族で「こまつ」派、もう一人は「喜の川」派らしく、どちらの店も地元の方には、よく知られた存在のようです。

「喜の川」の店主は、もともとは地元酒蔵の営業マンだったそうで、それだけに、こちらも日本酒にはこだわりがあるお店です。その中で、私が選んだのは、地元一関の両磐酒造が造るどぶろく「奥州のおっほー」でした。最近は、どぶろく特区が全国あちこちにありますが、「おっほー」はそれらとは一線を画します。ちょうどその年、「現代の名工」を受賞した南部杜氏・高橋康さんが醸す、甘口ながら後味スッキリのにごり酒です。

とてもおいしく、この半年ほど後、銀座にある酒の駅「麹屋三四郎酒舗」で、「おっほー」を発見した私は、「喜の川」でも一緒だった同僚編集者のK嬢やカメラマンの田中さんと共に、「おっほー」セレクトをしたものです。→「築地界隈を歩いてみる - 銀座1〜4丁目(東銀座)編

コメント

  1. ちょくちょく登場するDです。あの震災から二ヶ月して現地に入り阪神淡路大震災を経験している私にとってもちょっと衝動的すぎました。特に大川小学校の近くでまだ10代ではないかと思う自衛隊の隊員が長い棒で水田を捜索している姿、雄勝に迷い込み人っ子一人気配を感じないのに、なんだかゾワゾワした気分などはいまでも思い出してしまいますが、何より陸前高田でお会いしたクラブ幹事のSさんだったでしょうか、写真を見せていただき説明を聞いている時にご本人は口にされなかったけど、息子さんが津波に流されてお亡くなりになったという話を横にいた方が話されたときの、Sさんの表情が本当に悲しくて辛いものでした。

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    1. あれから、早いもので、今年でもう10年になります。写真を整理していて、被災数カ月後はもちろんのこと、3年ぐらい経っても、まだ壊れたままの建物が残っていたり、復興が進んでいなかったりしたことを再認識しました。せっかくなので、この機会に被災地のことも書き残しておこうかと考えています。

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