塩ホルモン発祥の地、道北・旭川グルメ旅
前のブログ(「羊のまち士別で味わう絶品ジンギスカン - 花の友」)に書いた士別での取材を終えた我々は、その夜、道北の中心都市・旭川に泊まりました。士別には、カメラマンの田中さん、ライターの砂山さんと行っていたのですが、その日の午後、神戸から友人のDHさんが合流。旭川では、4人で行動することになりました。
実は、その10日ほど前、神戸での取材を終えた砂山さんと私は、DHさんを含む神戸の友人たちと食事をすることになりました。店に行く道すがら、砂山さんと、次に行く士別取材の打ち合わせをするうち、話はいつしか、旭川で何を食べるかの相談に。と、そこへタイミング良く、北海道出身の砂山さんの友人から、旭川の有力情報がもたらされました。
それは、「旭川なら塩ホルモンでしょ」という一言です。一同、「塩ホルモン」にそそられるものを感じる中、北海道好きのDHさんも参加を表明、こうして旭川で塩ホルモンを食べる計画が出来上がったのでした。養豚が盛んな北海道の中でも、旭川は、明治の末から昭和20年頃まで、飼育頭数で全道の1割近くを占め、道内一の養豚王国となっていました。そのため、旭川では昔から、良質な豚のホルモンが流通。今でも、旭川でホルモンと言えば、牛ではなく豚を指すという土地柄になっています。そして、塩ホルモンは、旭川が発祥の地なのだそうです。
そんなわけで、旭川には塩ホルモンの専門店が数多くあり、一般の焼肉店でも提供されているとのこと。店探しも迷うところですが、ネット検索で砂山さんが選んだのは、塩ホルモンの老舗「馬場ホルモン」という店でした。我々が泊まったホテルは、7条通6丁目にあり、今はアートホテル旭川になっているようですが、当時は旭川パレスホテルという名前でした。で、馬場ホルモンは、7条通8丁目で、ホテルから歩いて4、5分の所にありました。
店の扉をがらがらと開けると、もうもうと白い煙が立ちこめていました。燃えてるんか? 思わず、そう思ってしまうほどの煙でした。
店のメニューやら、飾り物は完全に燻製状態。そのため、上着類は店の人から渡されたビニール袋(ゴミ袋ですな)に入れて密封。砂山さんが予約をしておいてくれたおかげで、テーブルの上には既に七輪と、塩ホルモンが盛られた皿、タマネギの載った皿が、置かれていました。
取り皿がなく、どうするのかな、と思って周囲を見ると、常連客は気にせず網の上から直接、口に運んでいました。システムさえ分かればこっちのもの。どの部位だか分からない肉を、出来るだけ丁寧に焼き、じっくりと食べてきました。私たちが食べている間にも、客が入れ替わり立ち替わり訪れ、大変な人気ぶりであることがうかがえました。後で知ったのですが、ここ「馬場ホルモン」こそが、塩ホルモン発祥の店なんだそうです。
馬場ホルモンは、1952(昭和27)年に、馬場一郎さんが創業した店で、開店当初は、ホルモンを焼いた後、客が塩コショウで味付けして食べるスタイルでした。その後、70(昭和45)年に馬場さんから店の経営を引き継いだ松田文子さんによると、「味付けをするのが苦手そうな客を見て、昭和40年代に、塩で下味を付けることを考案した」とのこと。そりゃまあ、今でこそ女性客も来店するんでしょうが、当時の客は料理なんてしたこともないオッちゃんばかりだったでしょうし・・・。
こうして、塩タレで下味を付けたホルモンを炭火で焼くという、「旭川塩ホルモン」のスタイルが確立され、その後、これに続く店が次々と現れたというわけです。ちなみに、通称「馬場ホル」こと馬場ホルモンのメニューは「塩ホルモン」一択。後は、ビールや焼酎などのドリンク類のみです。
私はこの8年後にも、一人で馬場ホルモンを再訪しました。が、この時は少し出遅れたため、満席で入ることが出来ませんでした。そのため翌日、取材を終えて東京へ戻る前、16時半の開店と同時にリベンジ突撃。さすがに入れましたが、既に先客がいたのには驚きました。
ところで、2回目の馬場ホル訪問時には、他の旭川グルメも堪能しました。そもそも、この時は、福岡で取材をした後、羽田乗り継ぎで旭川に入るという変なスケジュールでした。そして、福岡から一緒に行動した旭川の知人YKさんが、「宇宙一おいしい!」と太鼓判を押したラーメン店で昼食をとることになりました。
それが、「青葉」や「蜂屋」と共に、旭川ラーメンのシンボル的存在となっている「らーめんや天金」でした。奇しくも、馬場ホルモンと同じ1952(昭和27)年の創業。鶏ガラと豚骨でじっくり煮込んだスープが評判の店で、見た目はこってり系ですが、味は上品なあっさり系に仕上がっています。
これは、「寒い冬でも楽しんでもらえるよう」考案したスープだそうで、鶏ガラと豚骨を丸2日間、とろ火で煮込んでいます。そして、そこからしみ出した脂がスープの表面を覆い、こってりとした見た目になりますが、食べてみるとすっきりとしたまろやかな味わいとなります。また、油膜がはるため、熱を逃さず、最後まで熱々のラーメンを食べることが出来ます。
「宇宙一」かと言われると、そこは好みが分かれるところですが、私が食した正油ラーメンは、細めの縮れ麺によくスープが染み込み、とてもおいしい一杯でした。
馬場ホルモンを再訪したのは、その夜のことでしたが、前述した通り満席だったため、宿(JRイン旭川)に戻る途中にある「梁山泊」で、エゾシカを食べることにしました。「梁山泊」は、この5年前にたまたま入った店で、ここもちょっとしたエピソードがあります。
その日、本来なら富良野まで行って、ミシュランにも掲載された「くまげら」で、和牛さしみ丼を食べる予定でした。「くまげら」は、初馬場ホルの翌日、DHさんに連れて行ってもらった店で、DHさんお勧めの和牛さしみ丼(今は和牛ローストビーフ丼になっている模様)は、絶品でした。
しかし、ホテルの部屋で仕事をしているうち、列車の時間を過ぎてしまうという痛恨のミス。 そこで、気持ちを切り替え、和牛さしみ丼には勝てないまでも、何かネタになりそうな店を物色。そこで行き当たったのが、エゾシカのステーキや生ハムなどがある「梁山泊」でした。その時、店の女の子の勧めでエゾシカのカツを食べたのですが、思ったより柔らかく、なかなかおいしかったのを覚えていたのです。
もともとは、焼鳥居酒屋なんだそうですが、鹿肉の加工などをする会社(旬歓工房)を設立し、店で鹿肉料理も出すようになったとのこと。で、今回は、鹿カツの前に鹿刺をオーダー。こちらは、一味醤油で頂きました。ちなみに、この他、鹿ステーキ、生ハム、燻製、ジンギスカンなど、鹿肉を使ったメニューがいろいろあります。
翌日、午前中の取材が終わり、昼食をとるため駅方面へ歩いていたところ、東日本大震災の支援活動で知り合った、道南・倶知安のONさんとばったり遭遇。そして、親子丼を食べに行くというONさんに誘われ、あっさり方向転換。向かったのは、さっきまで取材していた場所の1ブロック手前にあるビルで、その地下に、後に北海道胆振東部地震でお世話になる故・豊島信一さんお勧めの店「とはち」がありました。
お目当ての親子丼は、石焼き親子丼で、メニューによると「ほぼ地元の食材にこだわり」、鶏肉は道東の中札内、卵は旭川、米はお隣・当麻産おぼろつき、サラダの野菜は道北の稚内という具合。そして厳選した鶏肉を炭火で焼き、石焼きビビンバで使う石鍋に入れて提供していました。ご想像の通り、熱々でおいしい親子丼でした。※残念ながら「とはち」は、2020年7月18日のランチ営業をもって閉店したそうです。
ところで、北海道フリークのDHさんとは、初馬場ホルの2年後にも旭川へ行っています。その時は、名寄で取材をした後、士別でジンギスカンを食べる予定でしたが、不定休の「花の友」のたまたまの休みにぶつかってしまい、旭川まで戻って「大黒屋」でジンギスカンを食べました。
「おいしい生ラムのジンギスカンが食べたかったら、旭川の大黒屋」と言われるほど、道民でもまた行きたくなるという人気店だそうです。冷凍を一切せず独自ルートで仕入れた生ラムを使っているとかで、柔らかく臭みのない上質な羊の肉を食べることが出来ました。「花の友」のマトンとはまた違った味わいで、こちらもおいしいジンギスカンでした。※我々が行った「大黒屋」の本店は、店舗老朽化のため閉店しており、現在は五丁目支店のみの営業となってるようです。
よく覚えてますね。私は読むまでほぼ忘れてました。忘れられないのは「満月」ですけどね(笑)
返信削除この間は松尾ジンギスカンでたらふくジンギスカンを平らげました。
これも、SNSのおかげです。mixiから始まり、Facebookやインスタなどに、自分の足跡と断片が残っているので、それをつなぎ合わせて書いています。ちなみに「満月」は、名寄の後に見つけたみたいですね。
削除松尾ジンギスカンは滝川に本店があって、2年前、北竜取材の時、滝川に泊まったのでチャンスがあったんですが、北竜の焼肉店で食べながら取材をしてきたので、残念ながら断念した経緯があります。