人を幸せにする食堂 - 桐生のはっちゃんショップ

 

和菓子・青柳

少し前のブログ(「北関東の歴史町・足利市」)の最後で、「快く赤れんが工場の撮影を受け入れてくださった上、工場内をくまなく案内してくれた『トチセン(栃木整染)』さんのおかげで、北関東の近代遺産への関心が高まり、翌年の桐生取材につながりました」と書きましたが、その桐生取材のこぼれ話です。

桐生は、「西の西陣、東の桐生」と称される織物の町で、約1300年の歴史を持つ桐生織は、昭和初期まで日本の基幹産業として栄えました。そして桐生には、明治から昭和の半ばにかけて建てられた織物工場が、今も数多く残っています。それらの多くは、ノコギリ屋根の建物で、市内には約220棟が残存しています。

美容室アッシュ

ノコギリ屋根工場は19世紀、産業革命の時代にイギリスの紡績工場で採用されたのが最初だと言われます。ノコギリ屋根では北側に天窓が設けられ、そこから差す柔らかな光が、一日中安定した明るさをもたらし、糸や織物の色を見るのを助けていました。また屋根が高いため織機の騒音を抑える効果もあり、まさに織物工場のための形状と言える建物でした。

最盛期、桐生には約350棟のノコギリ屋根工場があったそうですが、電力事情の改善や安価な照明器具の導入、また途上国の追い上げなどにより、日本の織物産業全体が衰退。織都と言われた桐生でも、ノコギリ屋根工場は次々と姿を消しました。

ベーカリーカフェ
しかし、90年代に入って、そんなノコギリ屋根工場に光を当てる動きが活発化。桐生市による近代化遺産調査で、市内に残存するノコギリ屋根工場が脚光を浴びるようになりました。更には、ノコギリ屋根工場を商業施設やアトリエなどへ再生活用する動きも広がってきました。

取材では、それらのうち、旧金谷レース工業の工場を再生した「ベーカリーカフェ」や、和菓子店「青柳」、「美容室アッシュ」など、10軒以上のノコギリ屋根工場を回りました。中には、有機栽培のブドウから作ったワインを直輸入する「かない屋」さんのワイン貯蔵庫として利用されているノコギリ屋根工場もありました。これは、珍しい大谷石造りの建物で、温度管理に適していることから、貯蔵庫として活用することにしたそうです。

ところで、桐生は長男のお嫁さんの実家があり、長男夫婦の子ども2人は、桐生の実家に近い病院で生まれました。1人目は、私ども夫婦にとっての初孫で、初宮参りは関東五大天神の桐生天満宮で執り行いました。1600(慶長5)年の関ケ原の戦いで、徳川家康は新田義貞の旗揚げの由来で縁起が良いとされていた桐生の白絹の旗を用いましたが、合戦前には、この旗絹を桐生天満宮の神前に供えて戦勝祈願しました。これにより、桐生織の名は全国に知られるようになり、更に勝利凱旋を吉例として境内で織物市が開設されるようになって、桐生織物繁栄の礎となりました。

かない屋のワイン貯蔵庫
かない屋のワイン貯蔵庫

初孫誕生から1カ月少々で、今度は長女夫婦の第1子が生まれ、二人とも女の子であることから、ほぼ双子状態で過ごしています。そして昨年、長女に第2子となる女の子が、今年3月に長男夫婦の第2子として、初めての男の孫が生まれました。彼も、上の子と同じ病院で生まれたのですが、ここは桐生の基幹病院で、新型コロナウイルス感染症の指定病院にもなっていたため、残念ながら面会は出来ず、退院してから、お嫁さんの実家で初対面をすることになりました。

実は私、4月にリタイアすることになっていたこともあり、2月以降は有休を当て、外出はほとんどせずにいました。そのため、車で桐生に出掛けたこの時が、1カ月ぶりの他県訪問となりました。ただ、新型コロナの影響で、初宮参りも後日行うこととし、その日はお嫁さんの実家だけに寄り、そのまま帰宅するというドアトゥードアの移動でした。

そんなわけで、結構、桐生には詳しい私ですが、桐生取材時、カメラマンの田中さんを、どうしても案内したい場所がありました。それは、上毛電鉄桐生球場前駅の近くにある「はっちゃんショップ」。

「はっちゃんショップ」は、桐生市相生町出身の田村はつゑさん(85)が、62歳の時に始めたお昼限定の食堂です。煮卵や金時豆、キンピラ、サバの味噌煮、天ぷら、更にはうどんにカレー、焼きそばなど、毎日20品ほどが日替わりで大皿に盛られて提供され、客はそれを好きなだけ取って食べるシステムです。これで、料金は500円ぽっきり!

はっちゃんショップ

当然のことながら、食堂の経営は赤字続き。はっちゃんはその赤字を、夫が残してくれた遺族年金などから毎月7、8万円を補填して営業を続けています。

はっちゃんが、店を始めたきっかけは、57歳の時に挑戦したバイクでの日本一周旅行でした。当初、夫は大反対。しかし、はっちゃんが、「どうしてもダメと言うなら、離婚してくれ」と言うと、夫も徐々に軟化。最後には、「早う行って帰ってこい」と、自分の退職金から100万円を餞別として出してくれ、更に成人した子どもたちも餞別を用意してくれて、500万円を手に冒険に出たそうです。

そして、旅先で多くの人の優しさに触れ、自分も誰かに親切を返したいと思うようになり、62歳での起業に至ったのでした。お店は、自宅の物置を改築してオープン。開店当初から、500円の食べ放題を続けています。

はっちゃんショップ

田中さんと私が店に入ったのは、開店から1時間近く経った12時20分ぐらいでした。「料理が少なくなっちゃったけど・・・」と言われましたが、一般の感覚では十分満腹になる料理が残っていました。で、それぞれ好きなものを皿に盛って、まさに「おふくろの味」と言える昼ご飯を頂きました。おいしかったし、はっちゃんの人柄にもノックアウト。

そんな「はっちゃんショップ」が、このコロナ禍でどうしているのか心配していましたが、一昨日の『上毛新聞』オンラインに、「コロナに負けず踏ん張る食堂 桐生の『はっちゃんショップ』」という記事が載っていました。それによると、新型コロナの影響で客が激減し、約2カ月半の休業を経て、6月に再開。8月に入ってようやくにぎわいを取り戻してきたとのこと。

とりあえず一安心。今後、新型コロナが収束したら、再訪したいお店リストに加えておきます。

取材記事→「懐かしいノコギリ屋根工場に新たな息吹をもたらす試み - 桐生

コメント

  1. 「はっちゃん」という名前のお店にハズレはないと信じている私です。広島で連れて行ってもらったお店が「はっちゃん」でしたが、それ以降数は多くありませんが行く店すべてアタリでした。

    北向きの部屋で作業をするのは一般では寒い部屋という印象ですが、神戸でも真珠業界は北側の部屋に作業場を設けています。六甲山の緑と間接的に届く太陽光が真珠の輝きを確認するのにいいそうです。

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    1. 私が知ってる「はっちゃん」はここだけですが、ここの場合はアットホームな感じと、57歳でバイク日本一周をしたり、62歳で起業して貯金を崩しながら食堂を営むはっちゃんの人柄が最高で。お年を召しているので、いつまで食堂をされるのか分かりませんが、桐生にはお嫁さんの実家があり、お父さんとは飲み友達になれそうなので、たぶんそのうち行く機会があるだろうと、楽観しています。

      そう言えば、「かない屋」さんのお嬢さんが買い付けているマキコレ・ワインは、いいものがそろっているみたいですよ。ここも推しです。
      http://www.cave-kanaiya.co.jp/index.html

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