大人気漫画の聖地で出会った謎の看板

左下り観音堂
会津三十三観音第21番札所 左下り観音堂

福島県は地形や気候、交通などの面から浜通り、中通り、会津の3地域に分けられます。浜通りは、相馬や南相馬、いわきなど、太平洋に面した沿岸部、中通りは、福島、郡山、白河などの県央部、会津は、会津若松や喜多方などの県西部になります。

このうち会津は、古くは相津と書きました。『古事記』によれば、崇神天皇の命により、諸国平定の任務を終えた大毘古命と建沼河別命の親子が、この地で合流したことに由来します。会津美里にある伊佐須美神社の縁起にも同様の伝承があり、二人が御神楽岳の頂に、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神を祭ったのが、同社の創祀とされます。

湯野上温泉駅
新白河駅から会津美里へ向かう途中にある湯野上温泉駅
いわば会津発祥の地とも言える会津美里町ですが、このところ町のあちこちで「あいづじげん」という不思議なキャラクターを見掛けます。これは、比叡山の再建や日光東照宮の造営に尽力した天海大僧正(慈眼大師)をモチーフにしたものです。

天海大僧正は、『東叡山開山慈眼大師縁起』に「陸奥国会津郡高田の郷にて給ひ」とあり、伊佐須美神社がある会津高田(現・会津美里町)の生まれとされます。ただ、同縁起にはまた、天海は自らの出自を弟子たちに語らなかったとあり、足利将軍のご落胤だという説もあるとしています。このように、天海の前半生はよく分かっておらず、そのせいか、後年には、いまNHK大河ドラマで注目の明智光秀が、天海になったのではという説まで生まれています。

ところで、会津美里町は、2005年に会津高田町、会津本郷町、新鶴村が合併して発足しました。このうち会津高田は、前述の通り、「会津」という地名の由来となった伊佐須美神社や、天海大僧正生誕の地として知られます。また、会津本郷は、陶器と磁器を製造する稀有な産地であり、柳宗悦や濱田庄司、河井寛次郎らが主導した民芸運動によって脚光を浴びた会津本郷焼で有名です。

民芸運動では特に、会津粗物(日用雑器)の代表格・宗像窯の「にしん鉢」に焦点が当てられました。にしん鉢とは、会津の郷土料理ニシンの山椒漬け専用の鉢で、宗像窯のにしん鉢は1958年、ブリュッセルの万国博覧会でグランプリを獲得し、会津本郷焼の名を高めました。そんな本郷焼を取材したいと前々から思っていたのですが、なかなかタイミングが合わず、ようやく実現したのは2015年のことでした。

宗像窯
宗像窯での撮影風景

この時は、宗像窯を始めいくつかの窯元にお邪魔しました。宗像窯は、美しく実用的であることを信条に、8代目当主利浩さんの代表作「利鉢」など、用の美を具現化した伝統的な器を中心に制作されていましたが、長男・利訓さんは宗像窯伝統の緑釉を改良した白緑釉によって、新たな表現にも挑戦していました。また本郷には、利訓さんと同世代の若手作家も活動しており、オリジナリティーあふれる作風で、会津本郷焼に新しい風を吹き込んでいました。

で、この取材の時、宿を取ったのは会津若松市の芦ノ牧温泉でした。ビジネスホテルなどが多い会津若松市の七日町が、会津本郷から北へ10km程度なので、いつもならこちらを選択していたと思います。が、本郷焼の里から5kmほど南に下った所にある左下り観音堂も、取材対象にしていたので、そこから更に5km南だと思い込んでいた芦ノ牧温泉を予約したのです。

会津本郷焼
Café & marché Hattandoでは会津本郷焼の器(樹ノ音工房作)を使用

しかし、5km南の芦ノ牧温泉駅近くに温泉はなく、温泉街は駅から5km弱も南に離れていました。会津若松でレンタカーを借りていたら、当然のように七日町を選択したでしょうが、この時は東北新幹線の新白河駅でレンタカーを借りたので、途中の芦ノ牧温泉が視野に入ってしまったという面もあり、まあ、致し方ないところです。

芦ノ牧温泉は、1200年前の開湯と言われ、非常に古くからある温泉場で、会津の奥座敷とも言われます。ところが最近、この芦ノ牧温泉にある「大川荘」が、今、大ブームとなっている漫画『鬼滅の刃』の聖地として注目を集めているのです。

私、漫画もテレビアニメも映画も観ていないので、何とも言えないのですが、大川荘の吹き抜け部分が、『鬼滅の刃』で戦闘が繰り広げられる「無限城」に酷似しているとSNS上で話題になったのが発端だそうです。大川荘も、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受け、一時期全館休館を余儀なくされていました。しかし、営業再開後、鬼滅ブームもあって宿泊の問い合わせが殺到、更には鬼滅のアクセサリーや衣装柄のマスクを身につけた宿泊客が増えているらしいです。

と言っても、私が泊まったのは、大川荘ではなく、丸峰観光ホテルでした。で、丸岡取材で芦原温泉に泊まった時のことを書いた前の前のブログ(「福井の伝統食・米糠(こんか)さば=へしこ」)で、「ホテルや旅館で出てくる夕食というのが、あまり好きではないので、食事は外に」と告白しましたが、今回も食事は外へ出ました。

温泉街を楽しめた昔と違って、今はさまざまな施設がホテル内にあり、外は真っ暗という所も珍しくなくなりましたが、芦ノ牧温泉もまさにそんな感じ。明かりが付いている店がほとんどなく、私とカメラマンの田中さんはその中の1軒、居酒屋の「ひさご」さんにお世話になりました。

もちろん、その前に、少しぶらぶらしてみたのですが、そこで見つけたのは、「ヤングの間でも大人気!」とのキャッチが書かれた関西ヌード専門館「芦の牧温泉劇場」とか、「名物 部隊長鍋」と書かれた「寿美屋」の看板でした。どちらも、既に廃業しているようでしたが、分かりやすい温泉劇場に対して、部隊長鍋が謎で、田中さんと推理を巡らせたものです。

で、我々のヨミでは、「部隊長=ぶたいちょう=ぶた+い+ちょう=豚+胃+腸・・・豚のホルモン」だろう、と。その一方、韓国料理のブデチゲのことも思い浮かびました。ブデチゲの「ブデ」は、「部隊」のことで、日本では「部隊チゲ」、「部隊鍋」と書きます。となると、この説も捨てがたいところです。

ちなみに、部隊チゲの由来は諸説あり、朝鮮戦争中に在韓米軍からの残飯や援助物資、放出物資に唐辛子を混ぜて作ったものであるとか、軍隊でヘルメットを使ってスパムやキムチを入れて作った鍋が始まりとか、言われているようです。ただ、いずれにしても、韓国の軍隊で生まれたチゲ鍋ということなのでしょう。

さて、芦ノ牧温泉名物「部隊長鍋」ですが、これはその後、ネットの情報で、居酒屋さんの大将(ひさごのご主人ですかね)の話で、「寿美屋の店主が、戦時中、部隊長を務めていたことが由来」という話が書かれていました。かくして、我々の予想は、完全に外れ。しかし、ここでまた、じゃあどんな鍋だったのかという疑問が、新たに浮かぶわけです。

元部隊長が作るホルモンの鍋だったのか、チゲ鍋だったのか、はたまた全く違う鍋だったのか・・・。今後、鬼滅ブームで訪れるであろう多くの人たちが、「部隊長鍋」に気付き、その謎を解き明かしてくれることを期待する今日この頃であります。

取材記事→「会津始まりの地で味わう温故知新の旅 - 会津美里


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