B級グルメ好きが喜ぶ「大洲ちゃんぽん」とは


「大洲ちゃんぽん」をご存じですか?

『広辞苑』によると、「ちゃんぽん」は、「①あれとこれと混同すること。まぜこぜ。②長崎料理の一つ。めん類・肉・野菜などを一緒に煮込んだ中国料理の一種」とあります。語源については諸説あるようですが、『広辞苑』は、中国語で混ぜるを意味する「攙和(チャンフオ)」から転じたとも、マレー語に由来するとも言われると付記しています。

それはともかく、今では「ビールと日本酒をちゃんぽんで飲む」とか、普通に使われる言葉となっています。また、『広辞苑』にも書いてあるように、長崎ちゃんぽんも有名です。

長男は、高校生の時、修学旅行で長崎に行きました。しかし、あちらで熱を出してしまい、皆がハウステンボスや長崎観光をしている間、ずっと宿で寝ていたそうです。そのため、帰宅してからの土産話は、熱が下がって最終日に食べた長崎ちゃんぽんだけでした(笑。

ほぞ穴のある礎石(臥龍山荘)
長崎ちゃんぽんは、中国の福建料理をベースにしています。そして九州には、長崎から派生したご当地ちゃんぽんが、いくつかあるようです。また、鳥取県や島根県には、あんかけちゃんぽんがあり、兵庫県姫路では、焼きそばと焼きうどんを混ぜた料理を「ちゃんぽん焼き」と呼んだり、実はいろいろなちゃんぽんが存在します。ちなみに沖縄のチャンプルーも、意味は「ちゃんぽん」と同じもののようです。

で、「大洲ちゃんぽん」も、それらと同じ「まぜこぜ」料理で、混ぜているのは焼きそばとご飯。鉄板で、そばを刻みながらご飯と混ぜて炒めます。そう、兵庫県神戸市のB級グルメ、みんな大好き「そばめし」と同じものです。

「そばめし」の発祥は、私も行ったことがありますが、神戸市長田の「青森」という店です。この「そばめし」、1957年創業の青森初代店主・青森章子さんが、焼きそばを作っていたところ、お客さんから自分の弁当の冷やご飯を「一緒に炒めてくれないか」と頼まれたのが始まりだそうです。

一方の「大洲ちゃんぽん」は、1953年創業の「美ゆき」というお店で誕生しました。こちらは、お客さんから「焼き飯と焼きそばを一度に焼いてくれ」と言われたことが始まりだと、お店の方が話しています。

料理の起源譚でよく知られているものに、カツカレーがあります。読売巨人軍の千葉茂選手は、試合前によく銀座の洋食店「スイス」でカレーとカツを食べていました。1948年のある日、いつもと同じようにスイスに立ち寄ったものの、その日は少し遅れてしまい、時間がないから「カレーにカツをのせてくれ!」と頼んだのが、カツカレー誕生の瞬間だと言われています。

神戸のそばめしも、大洲ちゃんぽんも、これと同じで、常連客の無茶ぶりによって生まれ、その後、店の看板メニューから他の店へと広がった、ご当地グルメの代表各と言えるでしょう。

御幸の橋

大洲取材の際、空港でレンタカーを借りた私とカメラマンの田中さんが、まず目指したのも「美ゆき」さんでした。そして迷わず、ちゃんぽんを注文。大洲ちゃんぽんは、ひき肉と小エビ、キャベツなどの具を、ご飯、中華麺と混ぜながら炒め、塩とソースで味付け。麺は、そばめしよりはやや長めになっていました。

B級グルメ好きで、しかも大好きな「そばめし」さえネタに出来る「大洲ちゃんぽん」を味わうことが出来、私にとっては幸先の良い取材となりました。

取材のメインは、大洲市を流れる肱川の景勝地、臥龍淵の崖の上に建つ「臥龍山荘」でした。臥龍山荘は、明治時代、木蝋輸出で莫大な富を得た河内寅次郎さんが、余生を過ごすため、故郷の大洲に築造した別荘です。母屋の臥龍院は、京都の桂離宮や修学院離宮などを参考に設計され、内部の造作には、千家十職が携わり、まるで工芸品のような手の込んだ造りになっていました。

また、建物だけではなく、外回りも非常に凝っていました。庭は、周囲の山や川など自然の景観を生かした広大な借景庭園となっています。更に石垣や灯籠、庭の敷石や飛び石など、石の使い方も凝っており、飛び石や敷石に、水車の臼石や伽藍石など、さまざまな石が使われていました。しかも、その一つひとつに意図があり、それが庭全体を引き立たせるほどの豊かな表情を見せています。

大洲では、この他、大洲のシンボル・大洲城や、杉皮葺の屋根付き橋・御幸の橋などをカットで撮影しました。愛媛県には、木造の屋根付き橋が今も現役でいくつか残っていますが、市街地から車で1時間ほどの所にある御幸の橋は、中央が半円形に反った太鼓橋で、釘が一切使われていません。また、御幸の橋がある場所は、坂本龍馬脱藩の道と言われ、橋は龍馬ファンにも親しまれています。

この大洲を、2018年7月、西日本豪雨が襲いました。前のブログ(西日本豪雨の被災地・真備を訪ねて)で、西日本豪雨の被害状況に触れましたが、愛媛県では、宇和島市吉田町、西予市野村町、大洲市の3カ所で甚大な被害が発生しました。

このうち野村町と大洲市は、肱川とその上流部のダムの放流による浸水被害でした。野村町にはハザードマップはなく、県の水防計画にも含まていませんでした。住民たちは、野村町はダムと川の堤防に守られている、と安心していたそうです。しかし、この時の豪雨は、そんな経験値は通用しませんでした。雨量に耐えきれず、ダムが放流量を増やすと、肱川の水かさは一気に上昇。30分後には水が堤防を越え、野村町の中心部は見る見るうちに浸水しました。

肱川は全長100km余ながら、源流から河口までわずか18kmという屈曲した川です。源流は西予市宇和町にあり、いったん南流して野村町を流れ、その先でひじのように曲がって大洲市肱川町から北流、最後は大洲の市街地を抜けて瀬戸内海へ注ぎます。流域には1953年完成の鹿野川ダム(大洲市)と82年完成の野村ダム(西予市)があり、西日本豪雨では両方のダムで一時、放流量が増やされました。

肱川に架かる大洲市の大成橋は、橋脚が折れ、桁が流されました

当然、下流の大洲の方が水流は多く、野村をのみ込んだ水はその後、大洲へと流れ、より広範囲に浸水被害をもたらしました。大洲はもともと水が溜まりやすい地形で、過去にも度々水害が発生。95年と04年にも大規模水害がありました。実はこの頃まで、鹿野川ダムは発電を目的にしており、貯水率を80%以下に出来ない決まりになっていたそうです。そのため大雨でも事前に貯水率を減らすことが出来ず、結果として洪水が起こる要因となっていました。04年以降、その運用を見直し治水目的のダムへ転換、それからは水害は起こっていませんでした。

ただ、上流の野村ダムは南予地方の柑橘系果樹園などには欠かせない灌漑目的のため、以前の鹿野川ダム同様、貯水率を落とすことが出来ず、一気に放流することになってしまいました。大洲市ではダムに近い肱川町で壊滅的な被害が出た他、市街地の東大洲地区でも大規模浸水に見舞われ、浸水家屋は約4600世帯に上りました。

この西日本豪雨の教訓から、鹿野川ダムと野村ダムでは、ダムの操作方針を見直し、昨年8月の台風10号で、新操作規則に基づく洪水調節を初めて実施しました。更にその後の台風19号で、ダムの緊急放流が話題になりました。そのため、政府は国内1460の全てのダムの運用を見直し、事前放流の実施など、洪水調整機能を強化することになりました。遅きに失した感はありますが、集中豪雨が頻発・激甚化する中、これらの対応が、リスク軽減に結び付くことを期待しています。

取材記事→「歴史と文化に彩られた伊予の小京都 - 大洲

コメント

  1. ご長男と同じく私も高校の修学旅行で長崎に行った時に、大部屋で枕投げが始まり、蕎麦殻枕は私の天敵だったので、ベランダに退避してそこにあった簡易ベッドで寝たせいで、翌朝発熱。帯同されていた先生と一緒に朝から病院へ。その後、一人で長崎観光へ。修学旅行なのに一人旅になりました。

    確かどこかでクラスメートと合流したはずなのですが、まったく記憶がありません。

    チャンポンは色んな語源があるんですね。私は中国語だと思っていました。

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    1. 当時は、がっかりする事件でしたが、今となってはいい思い出になっているのでは。私なんて、高校の修学旅行も中学と同じ京都、奈良だったので、ほぼ印象に残っていません。覚えているのは、新幹線の自動扉を一生懸命手で閉めようとしていた友人と、宿の幽霊ぐらいです。

      宿は京都駅前の佐野屋というホテルで、自由時間に近くを散歩しながら地元の女子高生をナンパしたところ、佐野屋は幽霊が出ることで有名だ、と。で、丑三つ時に、どこからか「ぎゃーっ!」という叫び声が聞こえ、みな一瞬焦りましたが、それ以上、何も起こりませんでした。どうやら佐野屋の幽霊話は本当に有名らしく、これがモノホンの幽霊だったのか、同じように噂を聞いた誰かのいたずらだったのかは、いまだに謎です。。。

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    2. ナンパした女子高生が幽霊だったらもっと怖いですね。

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    3. 確かに、それは怖いですね。。。

      削除

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