1年中しめ飾りを外さない中土佐久礼の港町

中土佐 久礼大正町市場

四万十の撮影で2連敗を喫した私は、傷心を抱えて帰京することになりました。とはいえ、シラスウナギを求めて夜中に徘徊した上、だるま朝日を狙って日の出前から起きていた働き蜂の私、チェックアウトまでゆっくりしてから、宿を発ちました。

四万十市から高知空港までは約130km、2時間ほどで着けます。しかし、帰りの便が夕方の出発だったので、途中で寄り道を決め込み、ほぼ中間地点の中土佐町で昼食を取ることにしました。

中土佐 久礼大正町市場

四万十市から中土佐町の久礼までは、国道56号で約67km。下道をゆっくり走っても、1時間半ほどで到着します。久礼は、土佐湾に面した天然の良港で、四万十川流域で生産された物資を、関西方面へ搬出する重要な港の一つとして発展してきました。また、漁港としての歴史も古く、港の周辺は典型的な漁師町になっています。

カツオ船の漁師純平と、その恋人八千代を中心に、土佐の漁師町に暮らす人たちの姿や風土などを描いた漫画『土佐の一本釣り』は、ここ久礼を舞台にしていました。作者の青柳裕介さんは、高知県香南市の出身で、中土佐町に部屋を借り、久礼の漁師たちと酒を酌み交わし、港町の生活に溶け込みながら創作に打ち込んだそうです。

そんな久礼の一角に、観光客の人気スポットとなっている久礼大正町市場があります。明治時代から庶民の台所として賑わってきた市場で、店先には水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や、朝どれの野菜などが並びます。

もともとは、明治の中頃に出来た闇市が起源だそうで、港町に暮らす漁師のおかみさんたちが、ヒメイチの炒りジャコを売り始めたのが始まりと言われています。1915(大正4)年、市場の周辺約230戸が焼失するという大火事がありました。その際、大正天皇から復興費が届けられたことに住民が感激し、「地蔵町」という地名を「大正町」に改名し、それ以来「大正町市場」と呼ばれるようになりました。

中土佐 久礼大正町市場

ランチは、この大正町市場前にある「市場食堂 ど久礼もん」へ。ここは、「海鮮どんぶり」と「なぶらスープカレー」推しのようでした。海鮮どんぶりは、その日に水揚げされた新鮮な魚を使うため、捕れた魚によって盛り付けが変わる丼です。一方の、なぶらスープカレーは、マグロ・カツオ・イカ・シイラに国産野菜を使ったトマトベースの名物カレー。「なぶら」は、漢字で書くと「魚群」となり、意味は・・・漢字の通りですね。

で、私は、なぶらスープカレーを選択。ぐつぐつ煮たった熱々のスープカレーでした。隣のテーブルで食べていた若いお客さんたちは、辛くてではなく、熱くて、水のお代わりを頼んでいました。

なぶらスープカレー

ランチの後、町の中を少し散策してみましたが、家々の玄関に正月飾りが残っているのに気がつきました。最初は旧正月かと思ったのですが、どうやらこの地域では、1年中、しめ飾りを外さないようです。

帰ってから調べてみたら、しめ飾りを1年中飾っておく所は、伊勢や高千穂、天草など、他にもありました。伊勢の場合は、蘇民将来に関わる言い伝えにより、「蘇民将来之子孫」などと書いたしめ飾りをかけているそうです。蘇民将来は、日本各地に伝わる説話の主人公で、宿を貸してくれた礼に神から授かった木札によって、子孫が疫病を免れることになったという話で、茅の輪くぐり行事の由来譚ともなっています。

中土佐町 久礼

高千穂と隣の日之影町のしめ飾りは、天照大神が二度と天岩戸に隠れないよう縄を張った結界が始まりで、毎年正月になると、新たなしめ縄に付け替えるそうです。また、天草の場合は、キリシタンではないことを示すためだった、とも言われているようです。風習というのは、土地によって異なるもんですねえ。

ちなみに、久礼には、「掛けのイヨ」という飾りもあります。「イヨ」は、「魚(うお)」の方言で、小ぶりのタイを塩漬けにして、1週間天日干ししたものを飾るそうです。特に漁師にとっては、しめ縄以上に大事な正月飾りで、これもまた久礼独特の風習でしょうね。

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