米どころ偲ばせて「養生糖」 新潟県新発田
越後平野中央部の蒲原一帯は、蒲原平野とも呼ばれ、日本有数の穀倉地帯として知られています。コシヒカリの古里と言った方がいいでしょうか。 新潟県は米どころとして有名ですが、この地の米作りの歴史は、繰り返される水害との戦いの軌跡でした。この地は、江戸時代、さまざまに入り組んだ支配の下に置かれていましたが、人々は知恵をつくし、力をふるい、支配領域を超えて協力し合い、今に至る米どころを作り上げたのです。 そんな歴史をしのばせる銘菓が、新発田市・長尾本店の「養生糖」です。米俵に似せた容れ物の中に、本物の米粒のようにも見える「養生糖」が入っていますが、米粒の正体は黒ゴマで、その一粒ひとつぶを山芋粉と糖蜜で包んであります。 この可愛いらしい菓子は、今から約130年前、1895(明治28)年に長尾本店の当時の主人が創製したものでした。長尾家は、新発田・溝口藩6万石(幕末時10万石)の藩医を務めた家柄でした。「養生糖」に山芋と黒ゴマが使われているのは、医家の知恵だったのでしょう。 ゴマは、もともとインドやエジプトが原産地と言われ、日本へは中国を経て6世紀頃に入ってきたものだそうです。漢方ではゴマ油が使われますが、ゴマはビタミンEを含み、脳を健やかにすると言われ、ゴマ塩は胃酸過多にも効くそうです。 また、山芋は、生薬名を「サンヤク」と言います。成分は主に澱粉ですが、独特のネバネバは、マンナンを主成分としたもので、ジアスターゼの一種も含んでいます。漢方では、もっぱら滋養強壮剤として使い、腸炎や夜尿症、寝汗の治療にも用いられてきました。痰のからみを取る民間薬としても盛んに使われてきました。昔は、山芋をすりおろして凍傷や火傷の治療などにも使ったといいますから、食べておいしいというだけのものではなかったようです。 これら、昔から知られた漢方の薬材を利用したところから、「養生糖」の名も生まれました。 「養生糖」は、回転釜にゴマを入れてかき混ぜながら山芋粉と糖蜜で、少しずつくるんでいきます。温度調節とタイミングの難しい作業で、どこか昔の丸薬作りに似ています。噛むと、柔らかな甘みの中で、ほのかにゴマが香り、いつまでも食べていたい不思議な銘菓です。
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