自然環境に恵まれた北薩地域の中心都市
以前、熊本県の芦北で取材をしている際、人気の観光列車「おれんじ食堂」が、芦北町の佐敷駅に入っているから、と取材先の方がわざわざ駅に連れて行ってくれました。おれんじ食堂は、「食を通じて沿線の魅力を知ってもらう」をテーマに車内で沿線地域の特産物を使用した料理や飲み物が味わえます。また、停車駅では駅マルシェが開催され、特産品や地元グルメが販売されます。
で、佐敷駅でのマルシェの間に、肥薩おれんじ鉄道のご好意で車内も見学。早速、列車の写真をインスタにアップしたところ、知人から「なぜ仙台と書かれているんでしょう。熊本ですよね?」と、コメントが付きました。「ん? 仙台?」と思って、写真を確認すると、確かに「SENDAI」という文字が列車の窓に入っていました。
「SENDAI」は、もちろん鹿児島県の「川内」ですが、一般的には「仙台」の方を思い浮かべるかもしれませんね。ただ私の場合、川内には40年近く前の1986年に取材で行っており、実はその時、取材先の方から聞いたうなぎの話が、「へ〜! ホント?」と思わせるものだったので、川内の地名は結構鮮烈に脳裏に刻まれていました。
うなぎというと、一般的には静岡県、特に浜名湖のある浜松市を思い浮かべるのではないでしょうか。が、地元の方の話だと、川内を始め鹿児島県からウナギの稚魚であるシラスウナギを供給し、浜松市でそれを養殖しているのだ、と。それを驚きを持って聞いた私、帰京後、早速調べてみたのは言うまでもありません。
まず、うなぎの養殖(養鰻)は1879(明治12)年、東京・深川で川魚商を営んでいた服部倉治郎が、深川に養殖池を作り、餌付けをしながら飼育を研究し始めたのが最初とされています。その後、倉治郎は汽車の窓から見た浜名湖に一目惚れ、1900(明治33)年、ここに養鰻池を作り、本格的なうなぎの養殖に取り組みます。で、これが大成功。以来、浜名湖はうなぎの養殖のメッカとなったのです。
が、1962(昭和37)年、静岡県はシラスウナギの記録的な大不漁に見舞われます。そこで静岡の養鰻業者たちは、うなぎを求めて全国へ飛び、高額でシラスウナギを買い上げたのです。その供給地となったのが、四国や九州でした。
ただ、いつまでもシラスウナギを供給してばかりではありませんでした。配合飼料の普及やハウス加温方式の導入による生産拡大に伴って、供給地の人たちが次々とうなぎ養殖に参入。そして今では、養殖うなぎ生産量の約40%を鹿児島県が占め、静岡県は愛知、宮崎に次ぐ第4位に後退しています。
さて、そんな薩摩川内市に「和睦石」という名の石があります。天下統一を目前にしていた豊臣秀吉が、1587(天正15)年に大軍を率いて薩摩に侵攻。降伏を決断した島津義久は、泰平寺の住職・宥印法印の斡旋もあって、剃髪し名を龍白に改めて泰平寺を訪れ、秀吉と対面し和議を結びました。和睦石は、その記念に、泰平寺境内にあった石を並べたものと言われ、薩摩川内市の指定文化財になっています。
薩摩川内市は2004年、川内市を中心に1市4町4村が合併して誕生。薩摩地方北部及び甑島列島を市域とする、県内最大の市となっています。九州新幹線・川内駅が市の中心部にあり、北薩地域の交通の要所となる一方、市街地の中央を貫流する川内川は、川内川流域県立自然公園に指定されています。また、周辺部も多様で美しい自然環境に恵まれ、甑島国定公園や藺牟田池県立自然公園などに指定され、多くの人々に親しまれています。
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