日本仏像界の人気スター阿修羅が待つ興福寺
数えでちょうど50になる年の1月下旬、久々に奈良駅に降り立ちました。その日はとても寒く、駅を出ると、空から白いものがちらちらと落ちてきました。
昼を回っていたので、まずは腹ごしらえと、奈良の街に足を踏み出しました。しかし、町並みに全く記憶がありません。思えば、高校の修学旅行以来の奈良だったのです。
そう言えば、中学の修学旅行も京都、奈良でした。が、思い出に残っているものと言えば、京都の清水寺と、旅館でのバカ騒ぎぐらいのものでした。
高校の時は、興福寺の阿修羅像にひかれたことを覚えています。
阿修羅は本来、古代インドの戦闘神で、神々の王である帝釈天に戦いを挑む鬼神でしたが、後に釈迦に帰依して守護神となりました。三つの顔に六本の腕を持つ、そんな荒ぶる神が、興福寺でいちばん人気の仏像なのです。興福寺・国宝館の床は、阿修羅像の前が、最も傷みが激しいといいます。
人気の秘密は、清楚な少女を思わせる、そのはかなげな表情にあります(もちろん、阿修羅は男です。だから、少女ではなく美少年と言った方が正しいのでしょうが、とりあえずこの記事では、あえて少女路線で突っ走ります)。
で、実はこの阿修羅像、復元模造プロジェクトのリーダーを務めた小野寺久幸さん(美術院 国宝修理所長)が、「阿修羅像のモデルはおそらく少女」と言っているのです。この説を唱える専門家は結構多いようで、個人的には肩入れしたくなる説です。
私の目的は、その阿修羅がいる興福寺の五重塔でした。ただ、冒頭にも書いたように、この日は時折、雪もちらつく空模様。おかげで国宝館に退避し、阿修羅に再会出来ましたが、それで満足して帰るわけにはいきません。一応、仕事で来ているので・・・。
そんな祈りが通じたのか、夕方になると風が強まり、雲が流れていきます。やがて日が差し始め、青空も見えてきました。しかし、晴れたとはいえ風が強く、人気のない境内で、寒さに震えながら自分の境遇を呪ったものです。結局、夜に出直し、ライトアップされた五重塔を撮影しましたが、この時の方が風がなく、寒さも感じませんでした。人生、そんなものですね。
ところで、五重塔は、もうすぐ約120年ぶりとなる大規模修理に入ります。それを前に、この3月1日から31日まで、ふだんは拝観出来ない塔の1階部分の特別公開が行われる予定でしたが、新型コロナウイルスの感染急拡大に伴い延期となりました(特別公開の前期は昨年10月9日から11月23日に実施)。
興福寺の五重塔は、730(天平2)年に光明皇后の発願で建立された、興福寺の伽藍を代表する国宝指定の仏塔です。5回の焼失の度に再建され、現在の塔は室町時代の1426(応永33)年に再建された6代目です。高さは50.1mで、京都の東寺(54.8m)に次ぐ規模ですが、再建当時は、最も高い塔だったと言われます。しかし、東寺も実は4度の焼失・再建を経験しており(現在の塔は1644年再建)、どこかの段階で抜かれたようです。
なお、今回の大規模修理は、1901(明治34)年の屋根のふき替え工事以来とのことです。
※結局、ランチは、奈良駅から興福寺に向かう途中にあった「おしゃべりな亀」という洋食屋さんのオムライスにしました。まだ店が残っているか確認してみたら、ちゃんと営業をされているようです。情報によると、創業からひたすらオムライスを作り続けて35年、店名の由来は、猿沢池の亀の甲羅がオムライスに似ているからだそうです。
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