植木の里・川口安行の話

川口緑化センター樹里安
長男家族は、我が家から約9km、車で20分ぐらいの所に住んでいます。ルートはいくつかあるのですが、国道4号を突っ切るとJR武蔵野線東川口駅南口の戸塚地区、4号線を草加方面へ少し走ってから入ると安行地区を通ります。

安行地区は、「植木の里」と呼ばれ、その歴史は400年以上になります。かつては鋳物と共に川口の2大産業として、隆盛を極めましたが、東京に隣接していることから人口が増えると共に、住宅開発が進み、鋳物工場も緑化産業も徐々に減っています。

それでも安行には、川口市営植物取引センターや川口緑化センター樹里安、花と緑の振興センター、安行園芸センターなど、「植木の里」にふさわしい施設があります。植物取引センターでは、毎週火曜日、植木のせりが行われ、全国から関係者が集まります。また、センターの敷地には、JAさいたまの子会社「安行植物取引所」が運営する植木直売所があり、一般の人が購入出来るようになっています。

川口緑化センターは、川口の伝統産業である植木や花、造園の振興を図るため、緑化産業に関する情報の収集や提供を行う施設です。道の駅「川口・あんぎょう」が併設されており、多種多様な花と緑を販売する園芸販売コーナーや、レストラン、屋上庭園などがあります。

花と緑の振興センターは、県の施設で、生産者や造園業者向けの情報提供や講習を行う他、園内には植木や鑑賞用樹木など、2000種類以上の植物が展示されています。安行園芸センターは、農事組合法人あゆみの農協の施設で、植木や草花、園芸資材を購入出来ます。

川口市営植物取引センター

安行は、1496(明応5)年、この地に曹洞宗の金剛寺を創建した中田安斎入道安行の名にちなんで付けられた地名と言われています。応仁の乱から20年ほど経ち、時は群雄割拠の戦国時代が幕を開けた頃でした。殺傷が続く戦乱の中、自らの所業に悩んでいた中田氏は、この地を行脚していた節庵禅師による金剛経で救われ、寺を建てることにしたと伝わります。

入道というぐらいですから、在家のまま剃髪し、仏道に進んだのでしょう。中田氏の出自については、いまひとつ分からないのですが、安行の子どもが、太田資長(道灌)の孫である資頼に仕えていたということから、安行も同時代を生きた資長の配下にあったのかもしれません。資長が、道灌を名乗るのは入道してからのことで、安行に影響を与えたと考えられなくもないかと。

金剛寺

戦国時代の中田氏では、現在の慶応大学日吉キャンパス(横浜市港北区日吉)に城跡がある矢上城の城主・中田加賀守の名が知られます。もともとは、太田氏の家臣で、後に小田原城の北条氏に仕え、小机衆の一人となります。中田安行は、その流れかもしれませんね。

ところで、金剛寺の近くに、殿山城があったとされます。日本全国の城や砦、館を網羅した専門書『日本城郭大系』の巻末一覧に「吉岡将監の居城。戦国時代」と記されています。1828(文政11)年の『新編武蔵風土記稿』によると、吉岡将監というのは、中田安斎入道安行の子で、太田道灌の孫である太田美濃守資頼(知楽斎道可)に仕えていたといいます。

ただ、吉岡将監という名前ですが、同姓同名の人物が、因幡国(鳥取県)の国衆にいるのです。こちらは、天正年間(1573 - 92年)の初め頃に、防己尾城(つづらおじょう/吉岡城)を築城し、1581(天正9)年には、織田信長軍の総司令官として攻めてきた羽柴秀吉と対決、3度にわたり秀吉軍の攻撃を防いだことで知られます。ちなみに、こちらの父は、吉岡春斎入道です。

吉田権之丞の墓

中田安斎入道安行の子が、なぜ吉岡を名乗ったのかは判明していないようで、もしかしたら、何かの綾で、因幡の吉岡氏と、武蔵の中田氏が、混線してしまったんでしょうか・・・。

さて、金剛寺では、もう一つ触れておくことがあります。墓地の一角に、安行植木の祖と言われる吉田権之丞の墓があるのです。権之丞は若い頃から植物に興味を持ち、珍しい草花を集めて栽培し、村人たちも彼にならって苗木作りを始めました。1657(明暦3)年、俗に「振り袖火事」と呼ばれる明暦の大火があり、江戸の街を焼き尽くします。当時の江戸は、人口が増加し経済が発展。火事からの復興も、それを後押しし、消費意欲が活発化。更に、新しい風流を好む元禄時代の文化人が、植木を好むようになり需要が急増。そのタイミングで、権之丞が、苗木や切り花を江戸に運んで販売すると、これが大当たり。安行の名を一躍広めることになったのです。

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