栗と砂糖だけを使う美濃生まれの「栗きんとん」 岐阜県中津川

すや 栗きんとん

中津川は、木曽路の入口にあり、町のどこからでも、美濃と信濃にまたがる恵那山が見えます。その中津川の駅前ロータリーに、「栗きんとん発祥の地」と書かれた碑が建っています。

栗きんとんというと、おせち料理の栗きんとんを思い浮かべる人も多いと思います。ゆでたサツマイモを裏ごしして、砂糖や塩などと合わせた粘りけのある餡を栗にまとわせたもので、「金団」と書きます。しかし、中津川など東濃地方の栗きんとんは「金飩」と書き、炊いた栗に砂糖を加え、茶巾で絞って形を整えた和菓子のことなのです。

中津川はかつて、中山道の宿場町として栄えました。東西の文化が入りやすかったため文人も多く、江戸後期には旦那衆の間で俳諧や茶の湯が流行。その必需品が菓子であり、舌の肥えた旦那衆をうならせる菓子作りのため、職人たちは試行錯誤を繰り返し、出来上がったのが栗きんとんだと言われます。

中津川の地域情報サイト「恵那山ネット」で出している「栗きんとんめぐり公式パンフレット」を見ると、市内には栗きんとんの店が14店あります。栗の収穫が始まる9月から冬にかけ、各店手作りで製造します。

いずれも材料は栗と砂糖だけ。しかも作り方もほぼ同じなのに、味は全て違うといいます。栗に砂糖を加えて炊き上げるわけですが、栗そのものが違うのか、砂糖が違うのか、炊き上げる温度や時間が違うのか、その微妙な加減がまた人気となっているようです。

中でも有名なのは、栗きんとんを初めて売り出したと言われる「すや」と、江戸末期の1864(元治元)年創業の「川上屋」です。「すや」の創業は元禄年間で、江戸から下ってきた武士が、「十八屋」の屋号で酢屋を開いたのが始まりだそうです。その後、1902(明治35)年に7代目が駄菓子屋に転向、次の8代目から生菓子を作るようになったといいます。

ただ、中津川から西へ約45kmほどの八百津町にある「緑屋老舗」(1872年創業)も、元祖栗金飩を標榜していて、明治20年代に3代目が商品化したそうです。で、「すや」の娘さんが八百津町に嫁いだことで、栗きんとんが中津川に伝えられたとしています。

決着はまだ見ていませんが、いずれにしろ美濃で生まれたお菓子であることは間違いないようです。

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