日本の饅頭発祥の店・塩瀬の「志ほせ饅頭」 東京都中央区

志ほせ饅頭

以前、事務所があった築地2丁目から、歩いて10分ほどの所(明石町)に、創業670余年という老舗和菓子屋・塩瀬総本家があります。塩瀬によると、「貞和5(1349)年、宋で修業を終えた龍山徳見禅師の帰国に際し、俗弟子だった一人の中国人が別れがたく随従して来朝しました。その人物が、塩瀬総本家の始祖・林淨因です。林淨因は暮らしの居を奈良に構え、お饅頭を作って売り出しました。これが、塩瀬の歴史の始まりです」とのことです。

龍山徳見は、1305(嘉元3)年から49年まで、長期間、元に滞在していました。徳見が帰国する際には、禅僧を始め船主など元朝の人々が同行し、そのまま日本に留まった一行の中に林淨因がいました。淨因は、徳見が修行をしていた禅堂の饅頭(マントウ)職人を務めており、その経験を生かして、小豆餡入りの饅頭(まんじゅう)を作りました。

本来のマントウは肉などを詰めますが、淨因は、戒律で肉食出来ない日本の禅僧のため、それを回避するものを作ったわけです。これが、菓子としての日本の饅頭の元祖ということになります。

その後、林家の子孫は京都に移り、応仁の乱では戦禍を逃れ三河の塩瀬村(現在の愛知県新城市塩瀬)へ避難。ここで「塩瀬」に改姓しました。乱の後、再び京に戻って饅頭を商うようになると、これが大繁盛。足利義政から「日本第一番饅頭所」の看板を受けました。以後も織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康らに愛好され、江戸開府と共に江戸に移転しました。

お勧めの一品は、江戸時代から名物として有名な「志ほせ饅頭」。伝来の食感にこだわり、国内産のヤマトイモをすり下ろし、上新粉と砂糖を加えて練った皮で、これまた吟味した北海道産の小豆餡を包んでいます。かなり小ぶりですが、しっかりとした食べごたえのある饅頭です。

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