銘菓郷愁 - ブドウを包む「月の雫」 山梨県甲府
甲州ブドウは、1186(文治2)年に、今の勝沼町の雨宮勘解由という人が、域ノ平で、1株の変種を見つけ、それを持ち帰って栽培したのが、そもそもの始まりとされています。その後、名医で、後に貼り薬の商品名にもなった永田徳本が、この地を訪れ、棚架け法などの栽培法を指導したと言われます。
徳本の指導の後、この地の栽培は急速に伸びたといい、1667(寛文7)年には、徳本の石碑も建てられたそうです。当時、この地は、徳川綱重が治めていましたが、その後を継いだ綱豊は、1704(宝永元)年に5代将軍綱吉の養子になります。そのため、甲斐・甲府藩は、綱吉の側用人だった柳沢吉保が治めることになり、家臣団と甲府に移り住みました。
1709(宝永6)年、綱吉が亡くなると、吉保も現役を退き、後を子の吉里が継ぎます。彼の治世中の1710年代の調べによると、甲州ブドウの産地はわずか14町7反(約4万4000坪)に過ぎませんでしたが、そのブドウが、思いもよらぬ珍しい菓子を生み出すことになります。
1723(享保8)年秋、甲府の老舗・牡丹亭の主人が、菓子を作ろうと、ブドウ棚の下で砂糖を煮詰めていた時のことです。1粒のブドウが、ぽろりと砂糖鍋の中にこぼれ落ちました。見ると、ブドウの粒の周りに砂糖が白く固まり、清らかな色の砂糖菓子状になっているではありませんか。主人が味わってみると、まことに高雅な珍味でした。
早速、藩主の吉里に献じられました。吉里は、この初めての菓子の味をめでて、「月の雫」と命名したということです。吉里は、翌年、大和郡山に転封となりますから、この名は、吉里の置き土産ともなりました。
「月の雫」は砂糖を熱して蜜状にし、温度を整えながら、ブドウを包んで仕上げます。包んでなおブドウのみずみずしさを保つのが伝統の技です。口に含むと甘さが広がり、一気にかじるとブドウが割れ、蜜と酸味が口中にあふれ、衣の砂糖と絶妙のハーモニーを奏でます。甘味の歴史をまとめて味わえる銘菓です。
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