銘菓郷愁 - 風雅伝える逸品「大手まんじゅう」 岡山
饅頭は、蒸し菓子の中の王様と言われています。饅頭の製法が中国から伝わったのは、南北朝時代の初めにあたる1340年から1345年の頃と言われ、日本に帰化した中国・元の人が、初めて作った、とされています。
一方、鎌倉時代の禅僧・弁円円爾(べんねんえんに)が伝えたと言われているのが、酒饅頭です。弁円円爾は、1235年に中国に渡って、41年に帰国し、博多(福岡)、京都、鎌倉に、今に残る名刹を創建した高僧でした。
いずれにしても、室町時代には、広く饅頭の名が知られていたようで、当時の歌合わせにも、「いかにせむこしきに蒸せるまんじゅうの思いふくれて人の恋しき」というのがあるそうです。
江戸時代、17世紀半ば頃になると、今とほとんど変わらない饅頭が作られていたと言われます。『食膳雑記』(1673年書写)という本にも、「甘酒と水を合わせ、粉を入れ、ゆるゆるにならぬようこねて……」と、作り方が書かれ、よく知られた食べ物だったようです。
「大手まんじゅう」は、岡山の大手饅頭伊部屋の初代にあたる、伊部屋永吉が創製したもので、この店の創業は1837(天保8)年のことでしたから、もう180余年以上も前のことになります。
初代の伊部屋永吉は、もともとは回船問屋を営んでいた人でした。風流な人だったようで、大坂から酒饅頭の製法を持ち帰って、地元で作り始めました。それが、備前岡山藩主の好みにも適い、茶会の席などでも使われました。「大手まんじゅう」の名も、藩主直々の命名だった、と伝えられています。
岡山藩は、藩主・池田光政の大規模新田開発でも知られるように、昔からの米どころでした。「大手まんじゅう」は、その良質の備前米で作られます。
まず、糀から作り始め、もち米などを加え、日数をかけて、じっくりと甘酒を熟成させます。これに小麦粉を混ぜ合わせ、発酵させて、饅頭の生地を作ります。また、北海道・十勝産の良質な小豆を、特製の砂糖で練って餡を作り、それを生地で包んで、香り豊かに蒸して、仕上げます。
甘酒のコクと餡の甘さが調和した独特の味わいは、とてもまろやかで、餡の練り方もまた古式を伝えて、風味があります。口に含むと、うっすらと広がる生地の酸味もまた風雅な銘菓です。
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