銘菓郷愁 - 阿波三盆の深い甘さ「滝の焼餅」 徳島
阿波・徳島産の最高級の白砂糖というと、「和菓子を語るものは、阿波三盆を知らざれば、通にあらず」と言われるほどにも有名です。その阿波三盆を惜しみなく使ったのが「滝の焼餅」です。
日本で国産の砂糖が奨励されたのは、徳川8代将軍吉宗の頃でしたが、この時は、あまり成功しませんでした。その後、各地で藩の政策として砂糖生産が見直され、徳島では、寛政年間(1789 - 1801)の頃から砂糖作りが始まります。
1827(文政12)年の頃には、甘藷の栽培地も広がって、約20万斤(120トン)の砂糖が生産されるようになります。阿波三盆は、こうして全国に知られ、戦前は、宮中から下賜される菓子にも阿波三盆が使われていたということです。
阿波三盆の産地となる徳島は、江戸時代、蜂須賀藩27万7000石の地として知られました。蜂須賀家政が、この地の領主として入国したのは1585(天正13)年のことで、この年、豊臣秀吉が関白となって、天下に覇を唱えます。家政は、直ちに渭山に城を築き、入国の翌年に完成させました。「滝の焼餅」はこの時、城の落成を祝って献上されたと言われます。
もちろん、まだ阿波三盆のなかった頃ですから、その時の献上品は素朴な味だったのでしょうが、この菓子が喜ばれて、領主愛用の名水「錦竜水」の使用を許されます。この水は、徳島駅の南西約600mの地にそびえる眉山の一角大滝山に、今も湧き出ている清水です。この水を使うことで、「滝の焼餅」の味が、更に引き立ちました。
焼餅そのものは、江戸初期の京都名物の中にも名が出てきて、こちらの方は、粘りけのないうるち米を粉にして餅を作り、中に赤い小豆の餡を入れたもので、この餅を釜の上で焼いて花の模様をつけたものだったそうです。
「滝の焼餅」は、阿波米の粉に名水を加えて指で丸め、それを薄くのばして、中に阿波三盆で味を整えた、こし餡を挟んで、鉄板で焼きます。火は、クヌギの薪を使うというぜいたくさで、餅の表面には菊型の型押しをします。その味わいは、昔から「滝のおやき」として文人墨客に愛されてきました。
焼き型の香ばしさ、こし餡の淡泊で深みのある甘さ、湧き上がるような雅趣あふれる舌ざわり、どれをとっても見事な銘菓です。
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