銘菓郷愁 - 純和三盆の極み「二人静」 愛知県名古屋


「二人静」は名古屋の老舗菓子舗両口屋是清(1634年創業)の創製品で、菓子名としては「ニニンシズカ」と読みます。これは、春の野山に咲く草花「フタリシズカ」の名古屋方言からとったものだそうです。

草花の「フタリシズカ」は、センリョウ科の多年草で、葉の頂きに穂の形をした白い花を1本から5本くらいつけますが、2本並び咲くものが多いようです。18世紀初めの江戸の百科辞典『和漢三才図会』では、この花の名は、能の『二人静』に由来していると言っています。

「静」というのは、源義経の恋人として知られた白拍子「静」のことで、能の『二人静』では、その「静」が二人現れます。物語は若菜を摘む女に「静」と名乗る女が供養を頼むところから始まり、女とその「静」が、影と形になって同じ舞を舞います。「静」を二人にしたことで、義経との悲恋が際立ち、能の原点を示す夢幻の趣の強い曲だとも言われています。

このような物語を背景にした草花を見て、和菓子の着想を得たのが、両口屋是清11代当主でした。能にも詳しかった彼は、庭に生えていた「フタリシズカ」に目をとめ、新しい和菓子の想を練りました。花の可憐、伝説の優美、能の気品を一つの菓子に凝縮させようというのですから、並の難しさではありません。

工夫の末に、国産砂糖の極上品である和三盆を原料とし、それを5cmほどの紅白の半球状にして、球形にまとめ、和紙にくるんだものが生まれました。和紙をほどくと、はらり、二つに分かれるという和菓子です。和三盆は、四国特産のものが使われました。1940(昭和15)年のことでした。

国産の砂糖は、鹿児島や高知で早くから生産され、江戸時代、熊本や徳島、香川でも白砂糖が作られるようになりました。特に、香川では、藩の政策として砂糖製造に力を入れ、1800年代には上等の白砂糖の製造に成功、「讃岐の白糖」は「本邦第一の白糖」と言われるほどになりました。「二人静」が、四国の砂糖にこだわったのは、老舗らしい歴史へのこだわりだったのかもしれません。

高名な俳人中村汀女は、この「二人静」を口に含み、次の一句を生みました。「忘れざり花にも二人静あり」

去りがてなさわやかな甘味が、「静」の名残りの思いを伝える銘菓です。

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