銘菓郷愁 - 名僧の遺徳偲ぶ「黄精飴」 岩手県盛岡


東洋医学では、医食同源といって、病気予防の上で日常の食生活が大事であることを説いています。盛岡の銘菓「黄精飴」も、そんな考え方が生んだ伝統の和菓子でしょう。

「黄精飴」の黄精(おうせい)というのは、薬草のナルコユリから取れるもので、アルカロイド様の物質を含む根茎を、漢方の滋養、強壮薬として使います。また、ナルコユリと似た薬草にアマドコロというのがあって、こちらの根茎は、ナルコユリよりも節の間が長く、漢方の萎蕤(いずい)や玉竹(ぎょくちく)として使い、強壮、強精薬とされています。どちらも日本の山野に自生する多年草で、これを生薬として使うのではなく、菓子の中に取り込んだところに、「黄精飴」のユニークさがあります。

この黄精という生薬を、盛岡の人に教えたのは、江戸時代、対馬藩の外交を担当していた学僧・規伯玄方という人だったそうです。

玄方は、対馬藩の対朝鮮外交機関であった以酊庵の2代目住持となった学識豊かな僧侶で、1629(寛永6)年、徳川3代将軍家光の時に、外交団の長として朝鮮に赴き、大成功を収めます。ところが、それから6年後、玄方が50歳の時、対馬藩のお家騒動に巻き込まれてしまいます。

当時、対馬藩は、外交を有利に運ぶため、外交文書に手ごころを加えていたのですが、重臣の一人がそのことを暴露したため、幕府も困ってしまい、暴露した重臣を津軽に流し、玄方を藩主の身代わりとして、南部藩・盛岡へ流罪とします。

それから20余年、玄方は盛岡にあって学問を教え、漢薬の製法、味噌、醤油、清酒の醸造、茶道、造園法なども教えて、文化や産業の興隆に大きな指導力を発揮しました。玄方が対馬へ帰ってからも、南部藩ではその徳を慕い、「方長老」と呼んで称えました。

その影響力に注目したのが、幕末にこの地へやって来た近江出身の重吉という人でした。重吉は、もち米を主な材料とする菓子「求肥」に、ナルコユリやアマドコロの根茎から取った煎汁を入れて新しい求肥を作り、医食同源の思想を菓子の形にしました。

黄精飴は、一口で食べられる大きさのものを1個ずつ和紙でくるんであります。食べると、野の光が口の中に匂い立つようで、底から底から淡い甘さがにじんでくる銘菓です。 

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