銘菓郷愁 - 農業の歴史刻む「旭豆」 北海道旭川


北海道旅行の土産に「旭豆」をもらった、という人が随分いるようです。「旭豆」は、北海道・旭川生まれなのですが、いつしか、全北海道を代表するようになりました。

歴史上に旭川という地名が登場するのは、1890(明治23)年のことで、地名は市内を流れる忠別川のアイヌ原名に由来するという説があります。この地に和人が入ってきたのは1877(明治10)年頃からだそうで、90年には、北海道開拓の原動力の一つであった屯田兵制度が変わり、開拓労働に重点が移って、旭川周辺にも、91年から93年にかけて屯田兵が入ります。

更に92年、北海道の農政が転換します。それまで寒冷地での稲作は無理だとされ、米を作ろうとした屯田兵は、軍隊の牢屋に入れられました。けれどこの年から水田に直接モミをまく直播法が奨励され、東旭川の屯田兵が高能率の直播器を発明したり、新種の早生米も見つかったりして、旭川を含む上川盆地の稲作は急速に広がっていきました。1903(明治36)年には、函館地方が大凶作なのに北の旭川周辺は大豊作、という実績を築きます。

「旭豆」は、この上川穀倉地帯を背景に誕生しました。02年の春、この地を富山の売薬行商人・片山久平という人が訪れ、旭川の宿に泊まったのがきっかけでした。片山は、同宿の人々が「田の畔で見掛ける見事な大豆を使って、菓子は出来ぬか」と、話しているのに引かれました。大豆は、あまり地味をより好みせずに育ちます。上川の田の畔に植えられた大豆も、目を引かれるほどによく育っていたのでしょう。

片山は、同郷の菓子職人・浅岡庄治郎と新種の菓子の創作にとりかかり、飛騨高山の「三嶋豆」をヒントに工夫を凝らしました。「三嶋豆」は、煎った大豆に砂糖と澱粉のころもをかけた菓子で、甘く香ばしいのが特徴です。二人が創り出した新しい菓子もそれに似て、大豆特有の風味と香りが生かされ、それが甘味と溶け合っていました。

旭川には、1900年から旧陸軍の第7師団が置かれ、「旭豆」は、その陸軍の兵士たちに愛されました。兵役を終えて郷里へ帰る兵士たちは、北海道土産として「旭豆」を求めました。彼らもまた多くが農民の子だったのです。

その後、北海道は大豆とビートの主産地として成長、「旭豆」も味に磨きをかけました。「旭豆」は、開拓の歴史が凝縮した菓子です。

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