銘菓郷愁 - 菓子の祖「餢飳饅頭」 奈良


菓子の菓は、クサカンムリに木の実を表す果を配し、古くは、モモやカキ、クリ、ミカン、ウリなどが菓子と言われていました。やがて、奈良時代から平安時代にかけて、中国から「カラクダモノ」と呼ばれるものが輸入され、菓子の領域が広がりました。

「カラクダモノ」は、もち米の粉や小麦粉、大豆や小豆などで作り、これにいろいろな調味料で味をつけたものだそうです。1135(保延元)年の『五節殿上饗目録』には、菓子として「小餅、唐菓子、枝柿、甘栗」などの名が出ていたといいます。五節殿は皇后や女御がいた所ですから、当時の上流階級の女性がどんな菓子を食べていたかが類推出来ます。『五節殿上饗目録』が出た保延元年というと、平清盛がまだ17歳の青年だった頃のことです。

「カラクダモノ」の伝統は、朝廷の節目の宴の料理や、神社の神饌の中に残り、奈良の春日大社に伝わる「餢飳(ぶと)」も、その中の一つとされています。春日大社は、768(神護景雲2)年の創建ですから、この古式を伝える神饌も大社並みの歴史を持っているのかもしれません。

「餢飳」というのは、油で揚げた餅のことで、我が国最初の漢和辞書『倭名類聚鈔』にも「油煎餅」として出てくるそうです。

春日大社では、今でも神職の人たちが「餢飳」を作り、神前に奉納しています。米の粉を蒸して臼でひいてから、丸く平らにし、二つに折って油で揚げたもので、これを作るのが、春日大社の神職の人たちの大切な役目の一つ。

大社の「餢飳」は、固くて食べにくいそうですが、この「餢飳」を、現代の和菓子として蘇らせたのが「餢飳饅頭」です。

奈良市に江戸末期創業という老舗「萬々堂通則」があります。1950(昭和25)年頃、その老舗の主人が大社の「餢飳」に注目し、これを新しい奈良の和菓子に出来ないかと考えました。さすがに古都の老舗、菓子の歴史の根本に迫ったわけです。主人は、春日大社宮司と相談して「餢飳」を饅頭にすることを思いつきます。

小麦粉をこねて卵と共に皮を作り、小豆のさらし餡を包みます。それを木型に入れて形を整え、ゴマ油で揚げて、砂糖をまぶし、「餢飳饅頭」が出来上がります。揚げた皮の内と外で、餡と砂糖が絶妙な甘さのバランスを保っているのが特徴です。伝統のカラクダモノの味覚を、現代に復活させた銘菓です。 

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