飫肥城下に残る不思議な弓

南国情緒あふれる日南の海岸から、国道222号を山の手の方へ上っていくと、なだらかな山々に囲まれた飫肥の町に入ります。ここは、伊東氏5万1000石の城下町。往時の姿を留める石垣塀や門構えを残す武家屋敷が、町のあちこちに連なり、同じ日南市でも、明るい海側とは対照的に、しっとりと落ち着いたたたずまいを感じさせます。

飫肥城は伊東、島津の攻防、実に103年という、城をめぐる戦いとしては日本最長の記録を持ついわくつきの城です。1458(長禄2)年、島津忠国が伊東氏の南進に備えて築城したもので、その後、両氏の間で長い争奪戦が展開され、1578(天正15)年の秀吉による九州統一後、伊東氏の本城となりました。

この飫肥に、四半的という、400年前から伝わる独特の弓があります。射場の距離が4間半、弓矢共に長さ4尺半、的の直径4寸半ということから、その名が付けられたといいます。普通の弓矢に比べ、弓が短く、矢が長い。つまり、よく飛ばないという不思議な弓です。

しかも、射手はみな座って弓を引き、その前にはなぜか焼酎の一升瓶がどんと据えられています。これ、飾りでもなんでもなく、本当に飲んじゃうのです。焼酎と弓。なんとも不釣り合いな取り合わせです。


もともと四半的は、娯楽 - それも農民の遊びとして始まりました。武士が考え出したもので、農民が武器を持たないよう仕向けたもののようです。だから武道、ましてや礼法などとは全く無縁。

今では体協にも加盟、飫肥だけでなく、宮崎県内各地はもとより熊本や東京にも広がり、老若男女、特にお年寄りのレクリエーションとして、最近、競技人口が増えています。休日ともなると民家の庭先や広場など、飫肥の町のあちこちで、四半的を楽しむ光景が見られます。

しかし、体協に加盟しようが、一般的になろうが、焼酎は欠かせません。「飲んで弾こうか、弾いちかり飲もうか」と民謡「四半的くどき」にも歌われるように、こぶし固めと称して弓を引く前に飲み、的に当たったと言ってはまた一杯・・といった調子。

なにしろ宮崎県は、お隣り鹿児島県と並ぶ焼酎王国。人口5万1000人の日南市だけでも、九つの蔵元があります。そんな土地だけに、「焼酎と弓」、一見して不釣り合いなこの取り合わせも、かえってらしく、なんの不思議も感じさせません。

※写真1枚目=泰平踊:飫肥に元禄の初めから伝わる郷土舞踊。藩主伊東氏の功績を称え、泰平の世を祝うというもので、舞の手は全て武芸十八般に型どりしています。

※写真3枚目=4代目四半的矢作の故・佐藤貫一さん。四半的の本場・飫肥でも、昔からの正統的な矢作は佐藤さんただ一人でした。四半的に使う竹は熊笹で、箱火鉢で何回も何回も火を入れ真っ直ぐにし、あとは火鉢の上にかけて、煙でいぶして硬くする。曲がりのない矢をつくるには、およそ2年かかる、と佐藤さんは話していました。

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