江戸の大坂人が生み出した佃煮はじめて物語

佃島は東京都中央区の南東部、隅田川の河口に臨む島です。人情や町のたたずまいなど、昔ながらの風情が残ることから、最も江戸らしいと言われる地域です。が、何を隠そう、佃島の名前の由来は大阪にあります。

頃は1582(天正10)年6月、徳川家康が大坂に遊んだ折のことです。堺に滞在していた家康は、本能寺で信長と会うため、京へ向かう途中、本能寺の変が伝えられます。急ぎ、三河へ戻ろうとした家康ですが、更に間の悪いことに、出水により足止めをくらってしまいます。

途方に暮れる家康に、助け船を出したのが、佃村(現・大阪市淀川区佃)の庄屋・森孫右衛門でした。佃の漁民が出してくれた舟で、一行は何とか窮地を切り抜けることが出来、これを機に、徳川家と佃の漁師との間に固い絆が結ばれることになったといいます。

江戸開府に当たり、家康は、佃村の漁師に対する恩賞として、彼らに幕府の御菜御用を命じ、孫右衛門を始め三十数人の漁師たちが、江戸・日本橋東詰に移住して来ました。更に1613(慶長18)年には「網引御免証文」を与え、江戸近海において特権的に漁が出来るようにしました。


その後、3代将軍家光の時、彼らは隅田川河口の干潟100間四方の土地をもらい、周囲を石垣で固め、故郷佃村の名をとり佃島と命名しました。江戸前漁業はだんだん盛んになり、小魚が売れ残ったりすると、佃島の漁師たちは塩、たまりなどで煮込み、保存食にしました。これが佃煮の始まりです。

佃煮は、安価で保存がきくところから、使用人の多い大店や下級武士の間で重宝され、庶民のおかずとして定着。更に江戸近郊で醤油が製造され始めると素材も増え、それらが江戸土産として全国に広がると共に、各地でも作られるようになり、佃煮の名で呼ばれることとなりました。

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