日本の心・茶の文化を育む三河の小京都

西尾市というと、このコロナ禍で、市議14人がコンパニオンを入れて忘年会をしたり、副市長の指示で大手薬局チェーン創業者夫妻のワクチン接種予約を優先確保したりと、残念なニュースが続き、かなり評判を落としてしまいました。西尾には、「一色産うなぎ」「西尾の抹茶」と、特許庁認定の地域ブランドが二つあり、私も抹茶の取材をしたり、一色うなぎを取り寄せたりしたことがあったので、正直がっかりしました。

しかし、そうした残念な人たちと、うなぎや抹茶の生産者の方たちとは別物。市の評判と共に、そうしたブランドに傷がつくのは忍びないので、今回はさわりだけですが、取材をした抹茶について書いておきたいと思います。

西尾市は、地域ブランドに認定されているように、日本一の抹茶の里です。西尾で抹茶づくりが始まったのは、1872(明治5)年のこと。市の西部、稲荷山の麓にある紅樹院の住職足立順道師が、修業の帰りに京都・宇治から茶の実を持ち帰ったのが始まりといいます。その後、宅地化により宇治の茶園が減少したこともあって、昭和20年代頃から、抹茶生産の比重は宇治から西尾にシフトしてきました。

植物学的には、抹茶の木と煎茶の木に違いはありません。むしろ茶畑の違いが大きな要素となっています。特に茶摘みの時期になると、それが顕著になります。

抹茶用の畑は、俗に「覆下茶園」と言われ、全面に覆いをかけます。新芽が出る頃に日差しをさえぎるのは、茶の木の成育にとって障害になるように思えます。しかし、実際はそうすることで、よりおいしい茶が出来るから不思議。

抹茶の場合、茶摘みの20日ほど前から覆いをかけ始めます。最初の10日間は日照の2〜3割をカット。後の10日間は7〜8割をカットし、茶園の中はほとんど薄暗闇となります。

これによって、根から吸収された養分はぶどう糖のままとどまります。その時に茶摘みをすることで、茶葉の有効成分、例えば茶のうま味の中心となる「タンニン」などが最高値となり、おいしいお茶が生まれます。

抹茶の葉は年に1回、摘まれます。そのため、茶樹の背も高くなっています。西尾では毎年、茶摘みの時期に、中学生による勤労体験学習が組まれています。

薄暗く、背の高い木の中で、まさに声はすれども姿は見えぬ状態。はたから見ると、ユーモラスな光景なのですが、全て手摘みで行う抹茶だけに、生産農家にとっては、まことに貴重な労働力なのです。

こうして摘まれた生葉は、20秒ほど蒸気に通してから、水分が7〜8割になるまで乾燥させます。更にこれを砕いて太い葉脈や茎を取り除いたものを、てん茶と言います。抹茶は、このてん茶を粉末にしたものです。

現在、西尾では、抹茶体験や製造工程の見学を通して、抹茶の新しい魅力に触れられる体験型博物館「抹茶ミュージアム」が出来たり、さまざまな抹茶スイーツが生み出されたり、地域ブランドの活用に、それなりの成果を上げています。ただ、全国レベルで見ると、まだまだ宇治のブランド力や知名度の方が高く、今後は「抹茶の町」西尾を印象づけるような町づくりを展開していくことが求められています。

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