安全性やブランド力を高め付加価値農業を創出する北空知
「そりゃあ、冬は寒いですよお。でも、真っ白な雪を踏みしめて工房まで歩いて来るのは気持ちいいものですよ」と、ご夫婦でMOMO工房を切り盛りする鹿島留美さんは話します。ご主人の稔さんは豊泉牧場の5代目社長。
豊泉牧場は1957(昭和32)年に酪農専業の3戸により発足、62年から有限会社となりました。当時としては例のない方式でした。そんな伝統を受け、94(平成6)年に社長に就任した稔さんは、更に先進的でユニークな経営に乗り出しました。
96年、消費者とのつながりを構築しようと牛の里親(オーナー)制度をスタート。オーナーは牧場で生まれた子牛を時価で購入。子牛は牧場で育てられ、牛乳が生産されるようになると自分の牛の牛乳をいつでも飲めます。また実際に牧場に出かけて、酪農体験をすることも出来ます。
更に98年、MOMO工房を立ち上げ、ヨーグルト、アイスクリーム、ミルクパンの製造販売を始めました。工房は製造体験も出来るようになっており、学校などの体験学習に利用されています。
牧場まで案内してくれた地元の東原廣志さんが、「鹿島君は思いついたら即行動だからね」と言えば、留美さんも、「相談された時には、もう決まってますからね」と笑っていました。
鹿島さんは、牛乳の配達が終わると、道内一の利用率を誇る道の駅「ライスランドふかがわ」に顔を出します。ここで搾り立てのフレッシュミルクを使ったソフトクリームの販売を始めたからです。消費者との触れ合いを求める鹿島さんの挑戦はまだまだ続きそうです。
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深川を中心とした北空知管内では「北育ち元気村」の名の下、JAが広域合併し、米を始めとする農産物の広域統一ブランドを作り、その普及に努めています。この辺りは特に道内随一の米どころとして知られます。
北海道開拓が始まった当時、道内では稲作が行われておらず、屯田兵はアワや麦を食べていました。北空知では1892(明治25)年、現在の深川市音江町で稲を植えたところうまく育ち、自分でため池を作ったり、川の水を引いて水田を作る人が多くなってきました。
1912(大正元)年には、石狩川の水を引いて用水路を作る工事が始められ、4年後の1916年に完成。当時はクワやスコップで土を掘り、掘った土はモッコで運ぶという、全て人力での作業であったため、大変な労苦であったようです。
しかし、こうして各地区に用水路が出来上がり、畑はだんだんと水田に変わっていきました。深川が、道内有数の稲作地帯となり、「良質良食味米」の産地として高い評価を受けている影には、こうした先人の苦労と努力があったのです。
ところで現在、深川の米は「北育ち元気村・こだわり米」として流通しています。消費者が求める安全で高品質、そしておいしい米づくりのため、「こだわり米栽培基準」に基づいた栽培を推進、徹底した品質管理を行うなど、生産者の努力が続けられているのです。
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