羊蹄山の恵みを受けて育まれたオブラート

倶知安は、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山の北麓に広がる町です。1910(明治43)年に後志支庁が置かれ、羊蹄山麓の行政の中心地、物資の集散地として発展しました。

また、羊蹄山を含む支笏洞爺湖国立公園と、ニセコ積丹小樽海岸国定公園を結ぶ道路交通の要衝にあり、夏の登山や冬のスキーなど、多くの観光客が訪れます。産業は、こうした観光地だけに第三次産業の比率が高くなっていますが、山麓一帯では酪農、盆地では畑作が盛んで、特に馬鈴薯は全国でも有数の産地となっています。

更に、この馬鈴薯を原料に生産される片栗粉やオブラートも、倶知安の特産品。特にオブラートは、全国生産量の40%を占める日本一の生産地です。

オブラートは、英語でイータブル・ペーパー(食べられる紙)とかポテト・スターチ・ペーパーと言うように、その原料は澱粉。特に羊蹄山麓のように、高地で作られる馬鈴薯が、オブラートには向いているといいます。

ここ倶知安のオブラートは、そうした点に目をつけて生まれたものですが、他にも日本一おいしいと言われる羊蹄山の湧水を使っていることも、利点となっているのだそうです。一口にオブラートと言っても、自然の恵みが大きな要素となっているのです。

そもそもオブラートは、キリスト教の祭壇に供える小麦粉の薄い煎餅がルーツだといいます。オブラートとは、その煎餅の形を示す偏円形の意味のギリシャ語とか。それがドイツで薬を包んで飲むのに使われ、原料も澱粉に変わりました。

しかし、初期のオブラートは今のものよりも硬く、厚さも薄焼き煎餅くらいだったようです。飲む時は、水に浮かべて、その上に薬を置き、軟らかくなったところからたたんで、水と共に飲んでいたといいます。

それがだんだんと改良され、現在の厚さ0.03mmというものになりました。その製造工程は、澱粉に水と若干の食用油を加えて糊状にし、それを回転式乾燥ドラムにかけて、薄い紙状のオブラートにするというもの。

こう書くと、ひどく簡単なようですが、実は大変。ドラムの加熱調節はもとより、部屋の温度や湿度、また季節や天候なども微妙に影響します。また、乾燥ドラムには漆が塗られていますが、これも20日ごとに塗り替えなくてはなりません。オブラート製造で一人前になるには、10年はかかると言われる、まさに職人の世界なのです。

こうして作られたオブラートは、裁断されて薬包用や飴、キャラメルなどを包む菓子用として全国に出荷されます。また、裁断くずのオブラートは粉末(ゼリーの中に入っているキラキラ光るものがそれ)にして、菓子用や養殖魚のエサとして使われているそうです。

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