中国地方第一の大河・江の川の河口に発達した窯業の町

島根県中部、中国地方第一の大河・江の川が日本海に注ぐ、その河口に開けた街。それが江津市です。古くから日本海と江の川の舟運で発達、江戸時代には幕府の天領となり、千石船が出入りする日本海有数の商港でした。そして大正時代までは、中国山地から木材、炭、紙、コウゾなどが江の川を下って江津に集められ、全国に送られました。

しかし、昭和に入って山陰本線の開通、また広島県三次市と江津とを結ぶ三江線が開通すると、河口港町としての機能は衰退し、代わって江の川河口の広大な砂地と豊富な水資源により工場誘致が進められ、パルプ、製紙などの軽工業都市としての性格を強めてきました。

そんな中でも、江津のもう一つの顔である石州瓦、石見焼といった窯業の町としての伝統は、まだ生きています。

山陰本線に乗って、車窓から日本海側を眺めると、赤瓦の家並が非常に印象的です。中には、集落全体が赤瓦で葺かれている所もあって、石見地方の一つの風物詩とさえ言える美しい景観をつくっています。

この赤瓦は、石州瓦の伝統的な色で、来待石をもとにした釉薬が使われ、山陰の風景の中に独特の風趣を与えてきました。

瓦には、製法の違いによって燻瓦、塩焼瓦、釉薬瓦などの種類があります。江津を中心とする石州瓦は、このうち釉薬瓦が大部分を占めます。これは日本海に直面し、厳しい冬の寒気と、日照が少なく雨や雪の多い山陰の気候風土と関係があります。

厳しい自然条件は、それに耐える特性を瓦に求めます。雪の重さに耐える堅牢性、極度の寒冷に耐える耐寒性、瓦にしみ込んだ水分が凍結して瓦が割れることを防ぐための耐水性などです。

釉薬瓦は、こうした条件を満たすために工夫されたもので、原土の精選、均一な加圧、高温焼成などの技術改良を重ね、更に粘土の質に適した釉薬の開発によって、零下30度の超低温にも耐えうる優れた品質を生み出してきました。

その製造は、昔は登り窯を使って焼かれましたが、今ではほとんどがトンネル窯で焼かれています。トンネル窯というのは、瓦を積んだ台車を窯の入口から入れると、予熱帯、焼成帯、除冷帯を微速度で通り、連続焼成が出来る構造の窯で、1日に1万〜2万枚ぐらいの瓦を焼くものが多いようです。

また、トンネル窯に入るまでの工程 - 土練・荒地製作・成型・素地製作・施釉(釉薬をかけ、乾燥)も、全てオートメーションで流れ、省エネ化、省力化が図られています。更に江津では、協同販売の会社を作り、加盟する会社ごとに軒瓦、袖瓦、平瓦などを分業により生産、コストの大幅な引き下げにも成功し、伝統的地場産業である窯業を、大きく発展させています。

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