西の芦屋釜と並び称された茶釜の銘品・天命釜

栃木県南西部、市の南端を渡良瀬川が流れる佐野は、古名を天命(てんみょう)といい、『太平記』には「下野国天命宿」の名が見えます。後に天明の字が当てられ、『木曽路図絵』は「天明宿、犬伏宿は半里の間、大路町続きなり。天明は昔茶釜を鋳て、天明釜と云ひ、筑前芦屋釜と同じく賞美せられし名物なり」と記しています。

鎌倉極楽寺に文和元年(1352)銘の釜があって、これが現存する最古の天命釜とされています。また、足利義政愛蔵の東山御物にも室町中期の天命釜があり、現存しています。西の芦屋釜と並び称されたこれら天命釜の特徴は、荒い鉄の地肌の美しさと佗の趣と言われます。

しかし、天命では茶釜ばかりを作っていたわけではありません。梵鐘、鰐口、釣燈篭、仏像の他、鍋や釜などの日用品にまで及んでいます。中でも梵鐘は、国の重要文化財に指定されているものだけで十数点も残っています。

現存する梵鐘で最古のものは、千葉県の日本寺にあり、元亨元年(1321)の銘が入っています。面白いところでは、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼすきっかけとなった京都・方広寺の大鐘があり、その製作には、40余人の天明鋳物師が参加したといいます。

伝承によると、天明鋳物は平安時代、藤原秀郷が、河内の鋳物師5人を移住させ、武具を作らせたのが始まりと言われます。その後、茶の湯の流行と共に茶釜の需要も増え、やがて茶の世界で珍重され、中央まで名が聞こえるようになりました。

取材時には、市内に10カ所あった工房は、現在4カ所まで減少しています。しかし、残っているのは、いずれも工芸品を手掛けている工房ばかり。藤原秀郷によって招請されて以来30代近く続く正田家の正田忠雄さんを始め、江田家22代目江田蕙さん、それに取材に協力して頂いた栗崎二夫さん(栗崎鋳工所)と若林秀真さん(若林鋳造所)の4人の鋳物師が、天明鋳物の歴史を継いでいます。

このうち栗崎さんは、主に朱銅焼と呼ばれる鋳物を作っています。朱銅焼は焼いた青銅を磨き込むことで、赤の地肌に金の班紋を浮きださせる技法を用い、漆器の根来塗を思わせる不思議な鋳物です。

また若林さんは、亡き父彦一郎さんの跡を継ぎ、伝統的な天命鋳物を守っています。彦一郎さんは、伝統を後世に伝えていくために鋳物製造の資料や在来民具を収集し、残してくれました。若林さんは、その伝統を守りながら、更に自分の世界を切り開こうと、自ら茶の世界にも力を入れ、茶の湯の心を作品に反映しようと努めています。

↑朱銅焼の花瓶(栗崎二夫さん)

※1枚目の写真は、若林さんが東大寺の依頼で制作した大仏釜。2枚目は若林さんの作業場。正面には鋳物師の祖神を祭った金山神社、床には、砂に粘土を約1割混ぜたホロと呼ばれる、型を作るための砂が敷き詰められていました。

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