伝統の手技を受け継ぐ越前すげ笠の里
笠は、日よけや雨よけの道具として、古くから用いられていました。『万葉集』巻十二には、「ひさかたの雨の降る日を我が門に蓑笠着ずて来る人や誰」という歌があります。
絵巻物によると、平安時代頃から多く使われるようになったようです。主として女が被ったもので、市女笠といいました。笠には、こうした使用者からつけられた名称も多く、時代劇でお馴染みの三度笠(本来は月に3回、江戸・京・大坂を往復した三度飛脚が被ったものでした)もその一つ。また編笠、網代笠など、製法からの名や、すげ笠、檜笠など素材からつけられたものもあります。
福井市清水町はかつて、すげ笠の産地として知られていました。この辺りは水害が多く、米作りにも支障を来すほどで、明治時代に田ですげを育て、笠を作り始めました。すげ笠の収入は農家の副業として、大きなウエートを占めるようになりました。卸業者も多く、県内はもとより、北海道から九州まで他県へも多く移出されていました。
すげは夏に刈り取り、天日干しします。それを質により親すげと「ささ掛け」と言われる下巻き用のすげに選り分けます。戦前まで、農閑期の11月から3月にかけ、家族総出で笠作りが行われました。すげ笠作りは、大きく分けて骨組み、ささ掛け、笠縫い、仕上げ干しの工程があります。竹で作る骨組みは男、ささ掛けは子ども、笠縫いは女と分業化され、それぞれ10人ほどが仲間となり、楽しみながら仕事をしていました。
清水町のすげ笠は、すげの質や、笠縫いが丁寧なことから、品質では日本一といわれ、『ギネスブック』にも掲載されています。とはいえ最近は、実用としての笠を見かけることはほとんどありません。そんな中、主産地・杉谷地区では、お年寄りを中心に「越前すげ笠を守る会」が作られ、伝統の技を継承しようとしています。また、すげ笠にちなんだ「清水すげ笠マラソン」や「すげ笠ウォーキング」などが行われたり、「すげ笠音頭」が作られたりしています。
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