剛直な尚武の気風を今に残す日向の木刀づくり
また、都城には、戦国の世以来の尚武の気風もあります。島津勢力の最前線として、日向の伊東氏や豊後の大友氏と死闘を繰り返してきた都城では、昔から武道が盛んでした。近代に入ってからも、軍都の趣を呈すなど、武張ったイメージの強い九州の中でも、その傾向はとりわけ強い地域です。こうした尚武の土地柄も、都城を全国一の武道具の産地としたことと無縁ではないでしょう。
都城木刀の歴史は、藩政時代、島津氏の支領となって以来のことで、薩摩示現流の大刀が見本として伝承され、明治末には新陰流の大刀を加味して、反りのある美しい型が出来上がりました。産業として確立したのは、大正の中頃になってから。その後、昭和に入って満洲鉄道開設のためのハンマーやつるはしの柄、軍事教練用の武具づくりで、非常な活況を見せました。
しかし、終戦後は武器につながるとして、木刀の製造は禁止されました。禁止が解け、再び製造が始まったのは1952(昭和27)年。この後は、国体に武道が採り入れられるようになって、武道熱も高まり、スポーツ店では武道具木工品が、ベストセラーとなりました。量産時代の幕開けです。が、需要に供給が追いつかず、店を畳む人が出始め、逆に製作者は徐々に減ってきました。
なにしろ一口に木刀と言っても、流派別に型はみな違います。しかも同じ流派でも、一本一本違った要望を出してくる場合があります。なかなか対応しきれるものではありません。取材させて頂いた当時、宮崎県伝統工芸士である堀之内登さんの所では、木刀だけで約400種に及んでいました。製作者が減った分、しわ寄せがきて、伝統的な都城木刀だけをつくっているわけにはいかないとのことでした。その他、薙刀や木銃、鎖鎌、杖、棒、ヌンチャクなど、武道用具の全てを製造しています。しかも薙刀や空手用品も、流派別です。その当時で、アメリカを始め海外12カ国へも出していました。
また、都城は木刀の他、竹製の大弓づくりの産地でもあり、こちらは全国の95%を占め、弓師も17人を数えていました。木刀にしろ弓にしろ、その製作は手仕事の部分が多いため、作業は大変ですが、今や日本古来の武具製作の継承者として、貴重な存在であるだけに、これからも伝統を守り、がんばって頂きたいところです。
↑1本の木刀をつくり上げるまでには、10〜20種類のカンナを使い分けます。木にぴったり吸いつくように工夫された丸溝のあるカンナなど、木刀づくりならではの道具もあります。
※取材当時6軒あった木刀製造所のうち、現在残っているのは3軒のみ。しかも、取材させて頂いた堀之内登製作所は残念ながら2019年に廃業されたそうです。
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