神話の時代から今に続く出雲の玉作り
古来、この地には、三種の神器の一つ勾玉を作る玉造部が住んでいました。松江市玉湯町にある日本最古の温泉・玉造の名は、ここからきています。玉造温泉の上手にある玉作湯神社の祭神・櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)は、玉造部の祖とされています。神話によると、須佐之男命が天照大神に献上した勾玉は、櫛明玉命が須佐之男命に贈ったものといいます。
玉は古代人の装飾品で、勾玉・管玉など多種多様な玉があります。ひすいやめのうなどを材料として作られましたが、それが信仰の対象となるほど、神秘的な美しさを秘めていました。
特に出雲の碧玉は硬質で火に強く、赤や白のめのうとは区別して、青めのうと呼ばれます。中でも玉造石が最も有名で、宍道湖の南にある花仙山から産出されます。
玉作りの中心地は、その花仙山の麓にあり、遺跡も20カ所を超えます。弥生時代の終わり頃から作り始め、古墳時代が最盛期だったようです。玉を飾る風習がすたれた奈良・平安時代にも、出雲だけは玉の生産が行われていました。
出雲の玉造部が作った碧玉製の勾玉を、出雲国造が朝廷に献上していたことが、当時の『出雲国風土記』(733年)や『延喜式』(927年)に記録されています。平安時代には、玉造の名は温泉と共に日本中に知れ渡り、都では貴族の間で評判になっていた、と清少納言が『枕草子』に記しています。そんな出雲の玉作りも、鎌倉・室町時代に一時廃絶しました。しかし、江戸末期に若狭の技術を導入して復活。印材、かんざし、こうがい、帯留め、根付などが作られました。
明治末には「出雲玉造瑪瑙(めのう)業組合」が組織され、最盛期の大正から昭和初めにかけては、加工業者も14軒を数えました。が、これも戦争で打撃を受け、現在では1軒を残すのみとなっています。
コメント
コメントを投稿