赤い夕日に染まる童顔の野仏は、下野生まれの石の民芸

野木町は、栃木県最南端。町域の大部分は、平地林の残る平らな台地ですが、西側は渡良瀬遊水地の一部をなす低湿地帯となっており、一面をヨシが生い茂っています。そして町の西境を、思川(おもいがわ)というロマンチックな名の川が、渡良瀬遊水地に向かって流れています。

町のほぼ中央を走る東北本線と思川との間には、日光街道が通っています。その街道筋に、「仏生庵工房」という石屋がありました。その名の通り、石仏や道祖神などを彫っている工房でした。

石仏は。ギリシャ彫刻の影響を受けた、インド・ガンダーラ地方の釈迦像が始まりと言われます。池田三四郎著『石の民芸』によると、道祖神は開拓のために初めて作られた道を守る神。またはその道から入ってくるかもしれない災厄を防ぐ神。そして子どもを授け、労働力に育てて豊穣を約束してくれる神が、夫婦和合や縁結びの神として、道祖神の形に集約されていったといいます。

仏生庵工房の大久保昌英さんが作っていた道祖神は、福々しい顔をしていました。「道祖神はだいたい男女双体ですから、深刻な顔つきにすると、妙になまめかしくなる。それで努めて童顔にするよう心がけているんです」と、大久保さんは話していました。

大久保さんは、道祖神や石仏に、主として福島県・須賀川産の江持石(安山岩)を使っていました。ただ、きめの細かさでは、江戸城の石垣にも使われた伊豆の青石(凝灰岩)が最適だそうで、細かい細工物の時には、これを使うと言っていました。

道祖神や石仏も、最近は信仰や宗教のためというより、インテリアとしての需要が多くなっています。庭の片隅や、応接間に置くために買い求める人がほとんどだといいます。しかし、考えようによっては、それこそが民間信仰や宗教の本来の姿なのかもしれません。

記事を書くに当たって確認したところ、大久保さんは石工を続けてはいるようですが、仏生庵工房という名ではないので、石仏や道祖神は彫っていないのかもしれません。が、栃木県が運用する「とちぎの伝統工芸品」というウェブサイトに「野木の石仏」が出ており、そこには大久保安久さんという方の名前が出ていました。同じ大久保なので、何らかの関係がある方かもしれません。

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