高野山から伝わり、大都市江戸に育てられた細川紙

秩父山地と関東平野が出合う県中西部の村・東秩父。この村は、近隣の小川町、都幾川村などと共に、古くから手漉き和紙の産地として知られてきました。

記録によると、都幾川村の古刹・慈光寺が建立された後、写経の必要から紙づくりが始まったとされます。慈光寺は、奈良時代の創建とされますから、1200年以上も昔のことです。また、いつの頃かは定かでありませんが、高野山の紙を漉いた紀州細川の紙漉き技術を導入したとも伝えられます。そのためこの辺りの和紙は、今でも「細川紙」と呼ばれます。

特に江戸時代、職人たちが開発した細川紙は、漂白しない未晒しのコウゾ100%を使った強じんな和紙でした。水に浸して丸めて搾っても、ピンと延ばせば元に戻りました。そんな質の良さから、商家の大福帳に使われ、火事の際、井戸に投げ込み、後で引き上げても再び使えたといいます。更に大都市・江戸に近かったこともあり、細川紙は非常な繁栄をみました。

しかし、時代と共に和紙を取り巻く環境も様変わりしました。大きな変化は昭和30年代の機械化でした。東秩父や小川の業者も、多くの家が機械和紙に転向しました。機械化による大量生産は原料不足を招き、原木は3倍に高騰しました。

それに追い討ちをかけるように、紙の需要が変わってしまいました。洋紙に押され、和紙を漉いていた家は、どんどん廃業に追い込まれていったのです。

現在、細川紙を漉いている家は数軒のみとなってしまいました。そんな中、東秩父にある「和紙の里」は紙漉きの伝統を将来に伝える施設として作られました。ここでは秩父の山々を借景とした日本庭園の中、細川紙を始めとした和紙の生産と販売を行っています。また、和紙の製作工程が見学出来る他、手作り体験も出来るようになっています。

地元の幼稚園児や小学生も手漉き体験に訪れるなど、今、東秩父では、村をあげて紙漉きの技と心を受け継いでいこうとしています。

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