酒を呑んだり三味線を弾いたり、ユニークなからくり人形

幕末、神戸港は諸外国に向けて門戸を開きました。年号が改まり、明治に入ると、外国船が続々と錨を下ろし、さまざまな異人さんが神戸の街に上陸し、紅毛碧眼の船乗りや黒い肌の水兵たちが、街を闊歩しました。初めて見る外国人に、神戸の人たちはさぞかしびっくりしたことでしょう。

そんな素朴な驚きが、神戸人形として形になり、今に伝わっています。神戸人形は伝統的な日本人形とは趣を異にします。一説には、初めて見た黒人船員の強烈な印象が、淡路の人形浄瑠璃と結び付き、特異なからくり人形が生まれたのだとされます。

ただ、創始者とされる野口百鬼堂が作った人形は、ツゲの木肌をそのまま生かしたものでした。それが、黒い人形になったのは、出崎房松が登場してからだそうです。この人は、黒人船員を見ると駆け寄って握手を求めたり、自分も顔を黒く塗って町を歩いたりといったエピソードが語られていて、そうした憧れの黒人を日本の庶民に当てはめたのでしょうか。

神戸人形の誕生は明治末期といわれ、大正から昭和初期には神戸港周辺や布引の滝の茶店で、外国人目当ての観光土産として売られました。大正天皇が、皇太子時代に布引の滝に来られた際、献上したこともありますが、もっぱら外国人が愛賞し買い求めました。

ただ、創始者については、野口百鬼堂説の他に、八尾某説、長田神社の参道で売っていた「長田の春さん」説などがあります。草創期で、はっきりと名前が分かっているのが、野口百鬼堂と出崎房松ぐらいというだけで、古い人形の中には、野口とも出崎とも異なる作風のものもあり、まだまだ無名の作者がいっぱいいたに違いないと言われています。


神戸人形は、からくり人形で、これまでに百数十種類が確認されています。つまみを回すと糸の繰りで前後、左右に動き、酒を呑んだり、三味線を弾いたりユーモラスな動きを見せます。そうしたユニークな仕種や表情が受けたのか、大正時代にはヨーロッパにも輸出されていました。今も時々、ヨーロッパの「蚤の市」に古い神戸人形が出ることがあるそうですが、その頃に輸出されたものかもしれません。

ところで神戸人形は、こうした生い立ちのためか、日本人にはほとんど知られていません。更にこれまで何回か廃絶の憂き目にあっています。取材した時も、作者がおらず、神戸人形を扱っている神戸センターでも、100個ほどの在庫があるのみだと聞きました。

その後2015年に、神戸市の東灘にある人形劇工房ウズモリ屋が、神戸人形を復刻。現在は、以前からの題材だけではなく、新作にも取り組んでいるそうです。

↑呑んだ盃を下ろすとお化けが顔を出します。他に大八車に乗せた棺桶から、お化けが交互に顔を出すものもあります。神戸人形が別名「お化け人形」といわれるゆえんです。

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