緑豊かな都民のオアシスは日本一のネクタイ産地

八王子市は東京の南西端。市の北部を加住丘陵、南部を多摩丘陵が東西に走り、その間に開ける八王子盆地の中央を多摩川の支流浅川が流れています。西部は関東山地の南端にあたり、陣馬、高尾など600〜900mの山々が連なっています。

八王子近郊は耕地が少なく、早くから養蚕、機業が発達しました。平安末期、この地を訪れた西行法師は「浅川を渡りて見れば富士の根の 桑の都に青嵐ふく」と詠み、そこから八王子は「桑都」とも称されていました。

江戸時代に甲州街道が整備されると、その宿場町として発展。織物などの市も開かれ、商業地としても栄えました。桑都とはいえ、当初は織物産地というよりも、織物の集荷地としての色が濃かったようです。

やがて幕末の横浜開港により外国貿易が始まると、絹織物は輸出の花形商品となり、八王子はますます活況を呈していきます。この頃に使われた八王子 - 横浜間のルートは「絹の道」と呼ばれていました。

明治に入り横浜線が開業。八高線も通じ、群馬の機業地との交流も盛んになり、織物技術も磨かれていきます。加えて全国最大の消費地である東京を控え、いち早く消費情報をキャッチ。明治時代には銘仙、お召、戦後にはウール着尺、ネクタイ地等、次々と時代をリードする製品を送り出し、全国有数の機業地になりました。しかし、それが逆に、八王子は総合力はあるが、特徴のない、流行に左右されやすい産地と言われるようになってしまいました。

その中でネクタイ地は、順調に成長し、一時は生産量で全国の50%を占める日本一の産地となりました。しかし、クールビズの推進を始め、ネクタイそのものの需要が減ったこともあり、その後は徐々に生産量が減少。現在、日本のネクタイの出荷本数は年間2500万本と2000年前後から半減。しかも、その8割が輸入物となり、残り2割の国内生産のうち、約44%は山梨県で、八王子は約17%にまで落ちています。

そのため最近では、八王子の織物工場と美術大学の学生が共同でテキスタイル製品を開発する「八王子織物プロジェクト」を企画し、学生の発想力により、新たな購買層を意識した新規性・遊び心のあるテキスタイルと製品開発を行うなど、産地再生の取り組みも行っています。

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