木のぬくもりを伝える北国のクラフト

1980年代から、日本のあちこちで、まちおこし・村おこし運動が盛んになりました。置戸町も、そんな町の一つでした。

置戸では、1970年代の後半から、町づくりのためにさまざまなアイデアを生み出してきました。全国的に有名になった人間ばん馬や、町民焼酎、町民ワイン、それにオケクラフトなどがその産物です。中でもオケクラフトは、置戸町のアイデンティティーとも言える森林文化の中心的存在として、町を挙げてその育成、強化に取り組んできました。

置戸町は大雪山の東端に接し、周囲を山に囲まれ、森林が町の面積の8割以上を占めています。森林のほとんどは、エゾマツとトドマツ。軟らかく割裂性が高いため、建材としての需要はほとんどなく、せいぜい炭鉱の支柱用に安い値段でしか売れませんでした。

そのため二次加工に力を入れ、付加価値を高める必要がありました。コロッケを買う時に包んでくれた経木や、駅弁の折り箱などがそれです。しかし、ある時期から折り箱は紙製になり、経木はビニールへと変わってしまいました。

そこで割裂性のよさを生かして、割り箸作りを始めました。これは当たり、高級割り箸の生産はぐんぐん伸びました。が、機械で量産する場合、割り箸に出来るのは表皮に近い部分だけ。樹齢100年ぐらいの太い木でも、中の60年分ぐらいは捨てることになります。これでいいのだろうか。そんな声が、町の中で次第に大きくなってきました。

割り箸にしろ、経木にしろ、使い捨てとは言え、捨てた後はまた自然に返ります。木に囲まれて生きてきた日本人の生活の知恵であり、人間が自然に積極的に関わった形でのリサイクルでした。しかし、機械の導入によって、自然と人間の良い関係が崩れてしまったのです。6割は捨てるとなると、やはり抵抗があります。町でも「豊かな自然を守り、自然と共に楽しく暮らす町づくり」を目指し始めました。

町では、工業デザイナーの秋岡芳夫氏を招き、自然との新たな関係を模索しました。その話し合いの中から生まれたのが、オケクラフト。成長に100年かかった木では、100年使える物を作る。育つスピードと作るスピードを合わせよう。この考え方をベースにした新しいものづくりへの挑戦でした。

エゾマツ、トドマツの見直しが始まりました。東北工業大学からロクロ技術と樹脂強化、クラフトデザインを導入。170種類もの工芸品を試作して、東京のデパートで展覧会を開きました。これが大好評で、「文化デザイン会議」が出している「地域文化デザイン賞」も受賞。

町に自信が芽生えました。以来、町ぐるみ「木と人間の共生」を目指して、オケクラフトを中心とした町づくりが始まったのです。

アカエゾマツ、トドマツを使ったオケクラフトは、素地を生かして、北国らしい白い器に仕上げています。透明な液状のプラスチックを染み込ませた「木固め」により樹脂強化がされ、傷みにくく、また白くてもすぐ汚れるようなことはありません。

置戸町では、1982(昭和57)年に森林工芸館を開設。84年からはオケクラフト研修生制度を設け、作り手の育成にも取り組んでいます。

オケクラフト工房 WOOD+

実は友人の一人、嶋谷裕明さんが、2003年に置戸町へ移住。05年にオケクラフト工房「wood+」を開設し、木の器やマグカップのデザイン・製作を行っています。写真は、ANAの機内誌『翼の王国』で紹介された嶋谷さん。

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