「岩国藩のお納戸」と呼ばれ繁栄した白壁の町並み

瀬戸内海国立公園の西端にある柳井市。向かいの大島との間、柳井水道の交通の要衝として古くから開け、藩政時代、市の中心・柳井津は、「岩国藩のお納戸」と呼ばれるほどの経済的勢力を持ち、商都として賑わいました。

柳井水道は狭い海峡です。しかし、瀬戸内海には実に多くの島々が散在しているため、いきおい舟はこの水道に集中しました。この辺りはかつて、内海航路を上り下りする舟が、最も激しく往来した所です。

柳井はその海上輸送の拠点として発展しました。柳井商人はここを基地に、大坂や九州へと商圏を拡大し、町は大きく繁栄しました。明治に入り、鉄道が通っても、山陽本線の急行停車駅となり、柳井は山口県東部の中核都市として、重要な役割を果たしてきました。

その山陽本線柳井駅から北へ5分ほど歩くと、柳井川へ出ます。柳井川までの道筋は、かつては海でした。町の発展につれて町域を拡大する必要から、1662(寛文2)年に埋め立てられ、一部が川として残されました。柳井川を左手に折れて二つ目の橋・宝来橋は、その旧地と新地を結ぶため、延宝年間(1673-81)に架けられました。橋の周辺には舟着場の跡が残り、かつて荷を積んだ舟が盛んに往来していた頃をしのばせます。

宝来橋を渡って小路を真っ直ぐ進むと、左右に通じる道に出ます。この辺りから右に約200mの問は「白壁の町」と呼ばれ、道を挟んで両側に古い商家が軒を連ねています。江戸時代には産物を満載した大八車が往来し賑わいました。

江戸中期の町屋の典型として、国の重要文化財に指定されている国森家を始め、2階建の妻入りで入母屋、本瓦葺きの家が多く残っています。間口がほとんど一定しており、よく似た家ばかりが並んでいます。他所にもこうした町並みはありますが、柳井ほど徹底している所は珍しいでしょう。

ここの通りは1982(昭和57)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。その町割は、室町時代のままと言われ、町としての柳井の歴史の深さを物語っています。



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