金融資本の砦となった「いぐら屋」の家並
福岡市から東南へ車で約1時間、緑のじゅうたんを敷き詰めたような田園風景が広がります。うきは市吉井町は、福岡県東南部、南に耳納連山がそびえ、北に九州一の大河筑後川がゆったりと流れています。この山と川の間を、国道210号が東西に走り、これに沿うようにして吉井の町並みが展開しています。
国道沿いの上町・中町・下町・天神町には、白壁土蔵造りの重厚な建物が軒を連ね、車で通る人の目を奪います。かつて吉井は、天領日田(大分県日田市)と、藩の中心久留米を結ぶ豊後街道の宿場町でした。しかし、宿場としてよりも、吉井は木蝋、酒、醤油などの産業と、筑後川を利用した物資の集積地として栄えました。
江戸初期、久留米藩の灌概工事により、筑後川から大石・長野水道が引かれました。これにより水田が広がり、吉井の米作は飛躍的に伸びました。筑後川の豊かな水と米は、酒造業を大きく育て、以前から行われていた櫨蝋造りと、その後に興った製粉、製麺業を合わせ、吉井は「吉井銀」と呼ばれる金融資本の集積を見るに至りました。
そして、これら富の蓄積を基盤とした家造りが、今日残る町並みの原形となったのです。その後、江戸後期から明治にかけ、三度の火災に見舞われた吉井の建物は更に堅牢化し、蔵造りに近い重厚な造りの町家が造られました。これらの造りを、この辺りでは「いぐら屋」と呼びます。「い」は「居」、「ぐら」は「蔵」、「屋」は「家」の意味です。今も吉井町には、江戸から明治にかけて建てられた家が数多く残り、この町に落ち着いたたたずまいを与えています。これらの家並は国道沿いの他、上町でT字型に交差する通称「白壁通り」や、大石・長野の二本の疏水に沿っても展開しています。
毎年春には、これらの家々の玄関にひな人形が飾られ、観光客に無料で公開されます。「お雛様めぐり」と名付けられたこの催しは、約1カ月にわたって行われ、やはり町並みを生かして毎年5月に行われる「小さな美術館めぐり」と共に、多くの観光客を引きつけ、町の活性化に一役買っています。
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