雪と火事によって形成された独特な美しい町並み
若桜町は、鳥取県の東南端、氷ノ山を中心に、中国山脈が延々と県境に起伏しています。町の大部分は山岳地帯で占められ、集落も標高200~650mの高所に散在しています。中心地の若桜は、四方を山に囲まれたすり鉢状の底部にあり、かつては矢部、山崎、山中、木下氏らの城下町として栄えた町です。
また、若桜は鳥取から姫路に抜ける現在の国道29号、かつての播磨往来の宿場町でもありました。兵庫・岡山両県境に近いこともあり、「因幡の中の播磨」とも呼ばれ、山陰と山陽の文化や物資が交錯していました。
現在では、城下町としての面影は、その町割にわずかに残っているにすぎません。しかし、宿場町・若桜としての姿は、今でも町のあちこちに見ることが出来ます。
その若桜の家並の特徴は、「カリヤ」という、現在のアーケードのような通りにあります。若桜は、西日本のスキーのメッカになっているほど積雪が多い地域です。カリヤとは、家と道路の間に設けられた幅1.2mほどのひさしのついた私道で、豪雪地帯に住む人々の生活の知恵が生み出したものです。現在では、このカリヤ通りも途切れていますが、かつては「カリヤづたいに傘いらず」と里謡にうたわれたように、カリヤが続き、雪や雨の日でも傘なしで通り抜け出来ました。
このカリヤ通りの裏は、蔵通りと呼ばれる白壁土蔵群が続き、かつての若桜宿の繁栄をしのばせています。蔵通りは、2度の大火に見舞われた明治期に作られたもので、火災を食い止めるために、土蔵以外の建物を建てることが禁じられた名残です。通りを挟んで蔵の反対側には、寺が軒を連ねていますが、これらの寺も防火のため、1カ所に集められたのだといいます。また、若桜町には、集落すべてが平家姓を名乗る落折という集落があり、3月3日、初節句の男の子に弓を引かせる習わしが、数百年の昔から続いています。この行事を雛祭りにやるのは、源氏に男児の誕生を悟られないためといい、以前は町の人ですら、この行事の存在を知らなかったそうです。
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