但馬の静かな城下町。郷愁を呼ぶ町並みを歩く

出石町は、兵庫県北東部、2005年に近隣市町村と合併して誕生した豊岡市の南部にあります。町の歴史は古く、『古事記』にも名前が記載されているほど。室町時代になると山名氏が居城、山名時代は約200年続きました。しかし、その間、足利将軍家の相続問題にからんで、城主山名宗金は細川勝元と争い、京都を中心に11年(1467-77)にわたる応仁の乱を起こしています。

町の西南端に残る出石城跡は、1574(天正2)年、山名祐豊の築城。1580(天正8)年、羽柴秀吉に攻められて落城し、秀吉の家臣青木勘兵衛が城主となりました。次いで前野但馬守が入り、1595(文禄4)年、龍野から小出吉政が入封、5万3000石を領しました。

出石が、本格的な城下町としての体裁を整えるのは、この小出氏2代・吉英の代になってから。吉英は、1604(慶長9)年、有子山山頂にあった山城を山麓に移し、城郭を囲んで武家屋敷を置き、その外に町家、更に外側に下級武士を住まわせ、城の固めとしました。この時造られた碁盤目状の町筋は、その後あまり変わっていません。

小出氏は9代続いた後、松平氏を経て、1706(宝永3)年、信州上田から仙石氏が入封、7代伝えて明治維新に及んでいます。この間、仙石氏は5万8000石を領していましたが、天保年間(1830-43)に起きたお家騒動(講談などで知られる仙石騒動)で、3万石に格下げされています。

こうして出石は、室町、戦国、桃山、江戸と約400年にわたり城下町として、その歴史を刻んできました。その風情は、現代にも伝えられています。明治の末、山陰線の敷設工事が始まった時、町民が鉄道敷設に猛反対、路線は大きく迂回しました。おかげで、昔ながらの町並みと共に、但馬の小京都と言われる静かなたたずまいが残ることになりました。

出石城跡のすぐそばには、仙石騒動の首謀者・仙石左京などが住んでいた家老屋敷があり、また城跡の下には町のシンボル・辰鼓櫓が残ります。辰鼓櫓は見張り台として設けられたもので、この上から太鼓を打ち鳴らし登城の合図としました。その時刻が辰の刻(午前8時)であったことが、その名の起こりです。今は電気時計になっていますが、やはり辰の刻には太鼓のテープが時を知らせています。

その他、街道の備えでもあった経王寺や見性寺のものものしい造り、出石生まれの沢庵禅師が再興した宗鏡寺、250年の歴史を持つ白磁出石焼の窯元など、見るべきものが多くあります。また、千本格子の家や土壁の酒蔵、古い灯籠など、珍しいものも発見出来ます。出石は歩いて回っても3時間そこそこ、ぶらりと散歩するには手頃な町です。 

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