大陸文化の玄関口、西海に浮かぶ歴史の島 - 福江


五島列島は、東シナ海に浮かぶ、大小100余りの島々からなります。その大部分が、西海国立公園に含まれ、美しい自然に恵まれています。五島列島の中で、最も大きな島は福江島で、かつては福江市と、富江、三井楽、玉之浦、岐宿の4町がありましたが、2004年に奈留島の奈留町を加えた1市5町で合併、五島市になりました。合併前、列島唯一の市であった福江が、五島市の政治、経済、文化、交通の中心となっています。

五島列島は、東シナ海をはさんで大陸と対しているため、古くから大陸航路の拠点ともなっていました。8世紀以降の遣唐使は、平戸をへて五島列島から揚子江を目指すルートがとられ、福江島の岐宿の港には、最澄や空海も、風待ちのため寄泊したといいます。岐宿町の魚ケ崎公園に建つ「遣唐使船寄泊の碑」に書かれた「辞本涯」は、空海の書から引用したもので、「日本の果てを去る」の意味になります。

中世に入ると、東シナ海には、松浦党を中心とする倭寇が出没。松浦、平戸、五島を拠点に台頭しました。やがて明の海賊も加わり、規模も大型化、「八幡大菩薩」の幟を掲げ、遠くルソン、マカオ、ジャカルタまで勢力を延ばしました。この八幡船の広範囲な活動が、ポルトガル船の平戸入港を促し、日本とヨーロッパとの貿易のきっかけともなりました。

五島氏の城下町である福江も、それらの拠点の一つでした。五島氏は明の海賊王直と結び、密貿易に乗り出し、居住地を提供するなど厚遇していました。福江市内には当時の史跡も数多く残り、海賊たちが行き交っていたであろう街の様子を彷彿とさせます。


福江の港から福江川を少しさかのぼると唐人橋があります。この辺りが王直の居館跡で、橋のたもとには、彼らの道祖神の聖廟・明人堂が建てられています。また、王直が、自分たちの飲料水用に、明の手法を用いて掘ったと言われる純中国式の六角井戸も残っています。


五島氏の居城である石田城は、1863年、黒船の来航に備えて築かれた城で、日本で最も新しい城と言われます。三方が福江港に面し、満潮時にはさながら海の浮城のようであったといいます。ただ、残念ながら今は埋め立てられ、普通の外掘と変わらない外観となっています。

市内の武家屋敷街には、いかめしい門構えと城を思わせる石垣塀を持つ家並が続きます。石垣は、外敵を防ぐためのこぼれ石と呼ばれる丸い小石を積み重ね、その両端を蒲鉾型の石で止めており、全国的にも貴重な史跡となっています。

五島はまた、キリシタンの島としても知られます。1566年にアルメイダ修道士が、初めてキリスト教を伝えて以来、藩主が信徒を庇護したり迫害したりを繰り返し、隠れキリシタンを生みました。

堂崎天主堂は、明治初期、禁教令が解かれた後に、フランス人宣教師マルマン神父が木造教会を建てたのに始まる五島で最初の教会です。現在の天主堂は1908年の建築。赤レンガ、ゴシック様式で、ヨーロッパの典型的な教会スタイルとなっています。

この他にも、レンガ造りの楠原教会や、美しい入江を望む丘に建てられた木造ゴシック式の水之浦教会、聖母マリアが出現したという南フランス・ルルドのマッサビエル洞穴を模して作られた日本最初の霊泉地を持つ井持浦教会などがあります。

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