甲州の鎌倉と呼ばれ多くの古社寺を持つ信玄ゆかりの里

恵林寺

今は「8時ちょうど」どころか「あずさ2号」自体ありませんが、新宿から特急あずさに乗ると、約1時間半で塩山に着きます。改札を抜け駅の北口へ出ると、右手にどっしりとした銅像が座っています。

武田信玄です。そう、甲州市塩山は信玄ゆかりの土地です。


その信玄公像の後ろに、由緒ありげな民家がたたずんでいます。重要文化財旧高野家住宅、通称「甘草(かんぞう)屋敷」です。

高野家は江戸時代、薬草である甘草を栽培し、幕府に納めていました。建物は19世紀初頭の建築とされ、甲州を代表する民家としての姿を今にとどめています。

この甘草屋敷には観光ボランティアも詰めていて、希望者には屋敷内の説明をしてくれます。また、あらかじめ連絡しておけば、その後の塩山観光にも案内役としてお付き合い頂けるそうです。

甘草屋敷

塩山は「甲州の鎌倉」と呼ばれ、その別名が示す通り古社寺が数多くあります。特に鎌倉末期に、夢窓疎石(国師)が恵林寺、慈雲寺などを開き、この地方の宗教、思想、文化に大きな影響を与えました。

中でも恵林寺は、国師の高徳を慕う求道の徒で寺勢は高まリ、夢窓国師の後も臨済禅の当時の代表的な高僧が、勅命によリ輪番入寺しました。こうして恵林寺は、一段と法灯の輝きを増しながら戦国時代を迎え、1551(弘治元)年、当代随一の傑僧といわれた快川紹喜が、美濃(岐阜県)から入山しました。

翌年、快川はいったん美濃へ帰りましたが、1564(永禄7)年、武田晴信(信玄)のたっての招きに応じて、再び恵林寺に入りました。晴信は寸暇を惜しんで名僧、高僧に接し、それによって得た心機、修養などを内政面に応用していました。

恵林寺庭園

特に禅僧に帰依すること厚く、中でも妙心寺の学僧と深く因縁を結び、妙心寺の岐秀元伯、快川等を重く礼遇しました。晴信は1559(永禄2)年に出家して信玄と号しましたが、剃髪の導師となったのは、岐秀であったといわれます。

快川は妙心寺出世の後、故郷美濃の崇福寺にいましたが、岐阜城主・斎藤義竜を相手にして、一国の城主といっても三界の導師たる自分に比べれば、狭小の主にすぎぬとして、歌一首「三界にはばかるほどの会下笠を、さして蓑(美濃)には執心もなし」と詠んで風刺し、さっさと出ていったといわれます。これは義竜が、僧侶を何かのことで辱しめたことがもとであったようです。信玄は、この剛気の快川に深く帰依し、恵林寺に招請した後、同寺を菩提寺と定めています。

快川も、それに応えるかのように、単に信玄の参禅の師にとどまらず、信玄、その子勝頼を積極的に支援し、武田家のために活躍しました。有名な「風林火山」の軍旗も、一説には快川の書であると伝えられています。

1573(天正元)年、信玄が信州駒場の陣中で病没した際、遺言によって3年間は喪が秘されましたが、同4年、快川を大導師として恵林寺で大葬儀が営まれ、信玄は同寺に葬られました。更に同10年、武田氏を滅ぼした織田信長によって恵林寺は焼かれましたが、この時、快川は長老、大和尚など百余人と共に三門楼上にこもリ、「安禅必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば火自ら涼し」という喝を唱え、武田氏に殉じて火定した話はあまりにも有名です。

ちなみに同年6月、本能寺の変があリ、7月、甲斐に入った徳川家康は、快川の高弟・末宗瑞喝が快川の命により火中よリ脱出して野州(栃木県)那須の雲厳寺に潜んでいるのを知リ、末宗に恵林寺を再興させると共に、武田不動尊の灯明料として寺領などを寄進し、恵林寺の復興に尽力しました。

恵林寺の本堂裏の庭園は夢窓疎石の作庭で、京都の西芳寺、天竜寺などと共に国師築庭の代表作と言われ、昭和19年、国の名勝に指定されています。また、境内にある信玄公宝物館には、武田信玄に関する文化財が、常設展示として年間を通じて一般公開されています。

この恵林寺のすぐ近くには、放光寺があります。左右に仁王像が控える山門をくぐると、きれいな庭に続きます。整いすぎて、どことなく西洋風の庭園を思わせますが、季節季節に美しい花が咲く庭として知られているそうです。

向嶽寺

山門を入って右手にある鐘楼脇の小さな坂道を上っていくと、水の音が聞こえてきます。この辺りはモモやブドウの果樹園が多く、そのための水路のようです。少し先には水車があり、コトコトと音を立てて回っていました。

この辺りは、初冬になるところ柿作りが盛んになります。農家の軒先をオレンジのすだれが埋め尽くす様は圧巻です。

最後に塩山の由来となった塩ノ山の麓に建つ向嶽寺に寄ってみましょう。ここは駅から歩いても15分程度。臨済宗向嶽寺派の本山ですが、長い参道を抜け入った境内は非常に静か。恵林寺と違い、観光客もほとんどなく、ひっそりとしたたたずまいながら、シンプルで落ち着く寺です。

塩山にはこの他、樋口一葉にちなむ散策路や、中里介山の小説でも知られる大菩薩峠のハイキングコースなど、魅力的な観光地があります。

向嶽寺


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