東西約31m、南北約28mに及ぶ日本一の名松
東京都江戸川区東小岩の善養寺境内に、樹齢600年以上と言われるクロマツ「影向(ようごう)のマツ」があります。「影向」とは、神仏がこの世に現れた姿のこと。枝の長さは東西約31m、南北約28mに及び、繁茂面積800平方m以上は日本一とされ、2011年に国の天然記念物に指定されました。
実はこの影向のマツ、香川県志度町(現さぬき市)にあった岡野松と「日本一争い」を演じたことがあります。
1970年代後半、善養寺の門前に立っていた「日本一」という看板を見た人が、「私の出身地、香川県志度町にある岡野松こそ日本一」と言ってきたのが事の発端でした。これがマスコミでも紹介され、日本一論争は1年余りも続きました。その決着を見たのは、1980年の5月になってから。善養寺で、大相撲の行司の法要が執り行われた際、参列した志度町出身の行司と住職が、松をめぐって口論。見かねた立行司の木村庄之助が間に入り、「どちらも日本一につき、双方引き分け」と差配しました。地元小岩出身で、同席していた日本相撲協会の春日野理事長も「双方を東西の横綱に推挙する」と庄之助の差配を後押し。この粋な計らいで、2本の松は東西の横綱松として知られることとなりました。
岡野松は残念ながら92年に枯死、今では影向のマツが一人横綱として、日本一の名松と言われています。
1年中葉を落とさない松は、永遠の命の象徴として神様が宿るとされます。また松は「祀る」につながることから、おめでたい木として、正月の門松に飾る習慣となっています。
ところで、善養寺のある江戸川区は、東京の東端。江戸川を挟んで、千葉県の松戸市、市川市、浦安市と接しており、南北に長い区となっています。区内には、北から京成本線、JR総武線、都営地下鉄新宿線、東京メトロ東西線、JR京葉線が通っていますが、いずれも都内から千葉方面へ東西を結ぶ路線で、区内を南北に移動出来る鉄道はありません。また江戸川区役所は、区の中央寄りにありますが、最寄り駅・JR総武線新小岩駅は、実は葛飾区にあり、ちょっと微妙な感じです。
小岩という地名は、『正倉院文書』にある721(養老5)年の下総国葛飾郡の戸籍に記された「甲和(こうわ)里」に由来します。この甲和里は、現在の江戸川区小岩地区に当たるとされ、約50戸450人ほどが住んでいたようです。ちなみに、葛飾区の新小岩は、1928(昭和3)年に総武線の駅が開業した時、隣の小岩駅にちなんで新小岩駅と命名され、その後、1965(昭和40)年、駅周辺のいくつかの町を再編した際に、駅名になっていた新小岩という地名が誕生したとのこと。
小岩の名が付く駅はもう一つ、京成本線の京成小岩駅があります。こちらは江戸川区北小岩にあり、南小岩にあるJR総武線の小岩駅とは徒歩15分ほどの距離にあります。
我が家では毎年、早稲田の穴八幡宮で一陽来復の御守を授かる前に、北小岩の唐泉寺(江戸川不動尊)に寄って護摩祈願をします。で、唐泉寺の最寄り駅が京成小岩駅なので、年に一度はこの駅を利用します。唐泉寺は日本唯一の「封じ護摩」の寺として知られますが、最近は唐泉(とうせん=当選)という寺名から、選挙の寺としても有名になっているようです。
唐泉寺と穴八幡宮を回る際、いつも先に小岩へ行き、軽めのお昼を食べてから早稲田へ向かうというのがルーティンになっています。で、ランチは毎回、京成小岩駅に近い「錦」というお店にしています。
▲TOKYO EDOGAWA GOURMET NAVI(江戸川区産業振興課)
ここは定食がとても充実していて、それに引かれました。昼時だったので、店内はかなり混んでいて、テーブルも小上がりも埋まり、カウンターに陣取る常連とおぼしくおやじ軍団の端っこ、店の一番奥に2席作ってもらい、そこでお昼にありつくことが出来ました。
定食は全部で35種類もあるそうで、ランチタイムには少し間引くものの、それでも24種類もあり、目移りするほど。その上、これに看板メニューらしい釜飯が15種類。選択のしがいがあるというものです。妻は1回目のぶり大根が気に入ったみたですが、私が食べた刺身定食や生姜焼き定食、その他の定食もそれぞれおいしく、今のところはずれはありません。
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