日光街道第2の宿・草加と「おくのほそ道」

草加松原遊歩道
江戸時代の地口に「草加(そうか)、越谷、千住の先よ」とあるように、草加は千住に続く日光街道第2の宿場町。

松尾芭蕉が曽良と共に、この日光街道を通って「おくのほそ道」へと旅立ったのは、元禄2(1689)年3月27日のこと。深川から隅田川をのぼり、千住で陸にあがった芭蕉は「行く春や鳥蹄魚の目は泪」と詠み、日光街道を北へ向かいました。

そして芭蕉は次の章で「其日漸早加と云宿にたどり着にけり」と書いています。初日は日光街道第2の宿・早加(草加)泊まりのように読み取れます。

しかし、曽良の随行日記には「廿七日夜 カスカベニ泊ル」とあります。千住から草加は2里8町(約9km)、草加宿から次の越ケ谷宿までが1里28町(約7km)、越ケ谷宿から粕壁宿は2里28町(約11km)です。

このあたり、千住から粕壁(春日部)まで27kmを、元気はつらつ一気に歩いたのでは、旅立ちの章で「前途三千里のおもひ胸にふさがりて」「離別の泪」をそそぎ、「行く春や鳥蹄魚の目は泪」と詠んだ句が霞んでしまうと考え、脚色したのではないかと解釈されています。

草加松原遊歩道
それはさておき、東武スカイツリーライン松原団地駅から歩いて5分、草加松原遊歩道の百代橋北側に、この「おくのほそ道」草加の章段を刻した「松尾芭蕉文学碑」が二つあります。一つは書家・木村笛風氏による書、もう一つは活字で刻まれています。

書の方は1991年に建立された高さ2m、幅1.2mの石碑で、併せて横に碑を建てた草加ライオンズクラブによって、松の木が植樹されています。活字の方はその7年後に、同じく草加ライオンズクラブが結成30周年記念事業として設置したものだそうです。

二つの文学碑がある草加松原遊歩道は、旧日光街道の松並木で、綾瀬川に沿ってゆったりとした石畳の散歩道が整備されています。「日本の道100選」や「利根川百景」の他、「おくのほそ道の風景地」として国の名勝にも指定されています。

ところで、草加と言えば、「草加せんべい」が有名です。元は農家がおやつに作っていた焼き米がルーツと言われ、草加が宿場町として栄えるようになると茶店で売られ、草加土産として江戸に伝わっていきました。

草加松原・松尾芭蕉文学碑

草加では、かつて良質の米が作られていました。特に、草加市東部の青柳の米はしっかりとした米で、寿司屋でも引っ張りだこだったといいます。その青柳に本店がある「まるそう一福」は、今も米にこだわったせんべい作りを続けています。

また「少しでいいから、よいものを作る」を信条に、量産をせず、店の拡張もしません。卸しもやっていないため、草加の店でしか買うことが出来ません。創業者の方にお会いした際、そのあたりを「お客さんに、草加のまるそう一福で買って来たよ、と自慢してもらえるせんべいを、頑固に、責任と誇りを持って作り続けたい」と話していました。

まるそう一福は東武線松原団地駅東口から東武バスで越戸橋下車。敷地内には棟方志功、後藤純男、川合玉堂、平山郁夫らの絵画などを集めた美術館や、煎餅資料館も併設されています。

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