古き時代の良きものを守りながら発展する津軽の文化都市

弘前城追手門の桜

桜の名所として知られる弘前城。その正門が追手門です。1層目の屋根を高めにした2層の櫓門で、全体を簡素な素木造りとしていることなど、戦国時代の古い形式を残すものとして、全国の城門の中でも注目されています。

追手門周辺の濠や土塁もよく保存・整備されており、春には濠沿いに植えられた桜の花が豪華に咲き誇ります。しかも弘前城の場合、散った桜の花びらが濠を埋め尽くす、いわゆる「花筏」がまた見事で、あえて桜が散る時期を狙って訪れる人も大勢います。

弘前城追手門の桜

弘前城の桜は、花自体が大きく、豪華な点が特徴だと言われます。ソメイヨシノは通常、一つの房に4~5個の花を付けますが、弘前城のソメイヨシノは、それよりも多く花を付けており、中には七つの花を咲かせている房もあります。また一般にソメイヨシノの寿命は60~80年と言われますが、弘前城には樹齢100年を超える古木が300本以上あるそうです。

弘前城追手門の桜

これらの桜を支えているのは、「弘前方式」と呼ばれる桜の管理技術だとされます。桜は枝を切ると、そこから腐りやすくなるので切らない方が良いとされ、よく「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われます。が、弘前公園管理事務所では、桜の枝を切るのだといいます。これは全国有数のリンゴ産地・弘前ならではの発想で、病気や害虫に弱いソメイヨシノを、リンゴ栽培を応用した適正な剪定によって管理しているのです。

弘前市土手町のシンボル一戸時計店
桜の時期には200万人もの観光客が訪れると言われる弘前城。旅好きの義母も、桜を求めて弘前を訪れたことがありましたが、その時は、残念ながら満開の桜とはならなかったようです。逆に私は、GWの1週間ほど前に弘前を訪問した際、見頃はもっと後だろうと思っていたのに、かなり咲きそろっていて、三脚を持ってこなかったのを悔やんだことがあります。桜は、その年によって時期がずれるので、必ずしも満開の時期に当たるとは限りませんが、やはり一度は見てみたい桜の名所に違いありません。

ところで、弘前城のある弘前公園周辺は、現在、市役所を始めとした官公庁街となっており、駅前とこの官公庁街、そして中心街の土手町という三つのエリアを結ぶように100円バス(土手町循環100円バス)が運行されています。弘前駅前から弘前城追手門までは約2km。土手町循環100円バスの場合、駅前から最寄りの市役所前までは約10分です。

さて弘前は、1611(慶長16)年に築かれた鷹岡城を中心とした津軽氏の城下町です。しかし、1627(寛永4)年に落雷をきっかけに焼失、翌28年、天海大僧正の勧めで鷹岡を弘前に改称しました。

明治維新後、いったんは弘前県となりましたが、2カ月後に青森県に改称され、県庁も弘前から青森へ移りました。その後、1898(明治31)年に陸軍第八師団が設置され、その関連施設が林立すると、弘前は「軍都」と称されるようになりました。

折りたたみの木製ベンチが渋い土手町のバス待合室
ただ、そんな環境下にあっても、弘前市は空襲に遭うこともなく戦災を免れることが出来、戦後は城と桜に代表される文化遺産や自然環境を背景に文化都市として発展しました。そして現在では、弘前大学を始め大学4校、短大2校、高校11校を有する、東北屈指の学園都市となっています。

そんな弘前市は、藩政時代に築かれた町割りを基本に市街地が形成されました。1894(明治27)年に奥羽本線の停車駅として弘前駅が開業すると、城下町から弘前駅に向かって市街地が拡大。市の中心街は、城と駅の間にある土手町通りとなり、やがてこみせ風な屋根が並ぶ上土手町、市内で真っ先にアーケードを導入した中土手町、デパートを中心とした下土手町と、個性の違う三つの商店街が形成されるようになりました。

その中に、土手町のシンボルとなっている赤いとんがり屋根の時計塔があります。実は、ある取材で弘前へ行った折、土手町通りを歩いていて、いくつか気になったものを見つけたので、後でSNSに「弘前で見つけたナイスなものや、ハテナなもの、アレ?なものなどを集めてみました」として、写真を投稿したことがあるのですが、この時計塔もその一つでした。

土手町通り
最初はもちろん「土手町のシンボル」なんてことは知らなかったのですが、存在感があったので、思わずカメラに収めました。で、この建物は、弘前市が陸軍第八師団の駐屯地となった翌年に、仙台から出店した三原時計店の弘前店として建てられたものだそうです。

当初は平屋に四角錐の時計塔を持った建物でしたが、1920(大正9)年に地元の一戸時計店が譲り受け、その後2階建てに改装されました。2018年に店主が亡くなり、後継者がいなかったことから、時計店は閉店してしまいましたが、その後、商店街などの口利きで、昨年開館した「弘前れんが倉庫美術館」の開館準備室として利用されるなどしていたようで、これからも何らかの形で再利用され、120年以上前から弘前で時を刻んできた、この時計塔が残されることを期待します。

この他、SNSで紹介したのは、折りたたみの木製ベンチが渋いバス停の待合室、赤ちゃんの足型が埋め込まれたハリウッド大通り的土手町通り、「肉の富田」のかつサンド、それに2階の壁に設けられた「トマソン」的ドアなどでした。土手町トマソンは、ラ・ビアン土手町店という靴屋さんの2階にあるドアです。調べてみると、仙台の靴卸・エド商事が運営していた靴店で、この地で長く営業していた老夫婦から2011年に居抜きで店舗を引き継いだとのこと。で、元の店も調べてみたら、明治屋靴店だということが判明しました。

土手町トマソン

更に調べを続けるうち、「くぐる鳥居は鬼ばかり」というブログの記事「中土手町 (青森県弘前市土手町)」に、以前の写真が載っているのを見つけました。それを見ると、どうやら元は扉ではなく、3箇所全てが窓だったようです。で、写真では、窓の下のプランターに緑のものが植わっているので、左右の窓をふさいだ際、プランターに水やりをするため、1箇所だけ扉にしたもので、それがトマソンのように見えてしまっただけで、実際には「無用」な扉ではなかったみたいです。

念のため説明しておくと、トマソンというのは、赤瀬川原平さんが雑誌『写真時代』に連載していた「超芸術トマソン」で知られるようになった概念で、読者からも多くの「何の役にも立たないのに堂々と存在する物」に関する投稿写真が集まり、一時ブームとなりました。ちなみに、トマソンの語源は、「トマ損」「三振王」などと揶揄され、チームには全く貢献しないのに堂々と4番打者を務めた、元読売巨人軍のゲーリー・トマソンに由来するものです。

弘前城雪燈籠まつり

弘前市の長靴無料貸し出し
最期にトマソンとは真逆の話題を一つ。2月、弘前城雪燈籠まつりに行った際、弘前駅構内にある観光案内所で、長靴の無料貸し出しを見つけました。残念ながら、帰りに気がついたので、私は利用出来ませんでしたが、当日の夕方6時まで借りられるようです。また、駅の観光案内所の他、弘前公園追手門向かいの弘前市立観光館や、土手町にある「まちなか情報センター」でも無料貸し出しがあり、特にまちなか情報センターの返却時間は21時となっているので、かなり便利だと思います。サイズは子ども用の20cmからあるそうです。



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